女は文化なのか? 自然なのか?――語りからさぐる人類社会の多様性と普遍性(前半)

ボニー・ヒューレット著『アフリカの森の女たち―文化・進化・発達の人類学』(原題Listen, Here Is a Story)の訳書刊行を記念して、中部アフリカの「森」の社会とその生活、小規模社会の研究から見えてくるもの、本書の特徴や翻訳にあたっての苦労など、著者と同じく中部アフリカでフィールドワークをしている訳者3人にお話をうかがいました。

話し手: 服部志帆、大石高典、戸田美佳子(訳者・執筆者)
聞き手・構成: 櫛谷夏帆(編集担当)

バナー写真:ドローンで見たアフリカの森。(撮影:大石高典)

 

本書の日本語版タイトルは『アフリカの森の女たち』です。舞台となる「アフリカの森」はどのようなところでしょうか?

 アフリカ大陸の中央に広がるコンゴ盆地の北部に位置する、中央アフリカ共和国の熱帯雨林が舞台です。この森には、ゴリラやチンパンジー、ゾウなどの絶滅危惧種を含む多くの動物や8000種をこえるといわれる植物が生息しています。豊かな森の恵みに依存しながら、本書の主人公である狩猟採集民アカと農耕民ンガンドゥは暮らしています。

 

「狩猟採集民」と「農耕民」とはどのような人たちですか?

 「狩猟採集民」は、野生の動植物を直接採捕してそれを食料にしている人々のことです。約1万年前に農耕と牧畜が発明されるまでは、全人類(ホモ・サピエンス)が狩猟採集をして暮らしていました。一方、「農耕民」は定義的には農耕をなりわいとする人々を指しますが、本書のンガンドゥは焼畑農耕を基盤としながら狩猟採集、漁労、家畜飼養などを組み合わせた複合的ななりわいを営んでいます。

 中部アフリカの熱帯雨林というと、豊かな自然環境のもと変化の少ない社会で人々が暮らしているというイメージを持つ人もいるかもしれませんが、過去1世紀の間にアカやンガンドゥは次から次へと押し寄せる劇的な変化を経験しています。

 

過去1世紀というと、日本社会も戦争を経験して大きな変化がありましたね。「森」では何があったのでしょうか?

 中央アフリカ共和国はアフリカ大陸の多くの国や地域と同様に、ヨーロッパによる植民地支配を19世紀後半から受けました。1960年に独立した後もクーデターやクーデター未遂が続き、さらには隣国のチャド、スーダン、南スーダン、コンゴ民主共和国での内戦の影響を受けて政情不安が続いています。

 さらに近年では、伐採事業や環境保全により生態環境が変化したり、宣教師や人権団体などの外部社会が関与したりしています。「森」はこのような激動の歴史と現在を内包しているところでもあるのです。

 

 なお、本書の舞台であるナンベレ村の様子をビジュアルに体験してみたい方は、BBCのドキュメンタリー作品『A Caterpillar Moon』をウェブ上で見ることができます。この動画を監修したワシントン州立大学のバリー・ヒューレット博士は本書の著者ボニー・ヒューレットのパートナーでもあります。

熱帯雨林から切り出した原木を満載した伐採トラック。

熱帯雨林から切り出した原木を満載した伐採トラック。街道を行くと、日中だけで20~30台はこのようなトラックとすれ違う。(撮影:服部志帆)

 

アカとンガンドゥの社会はどのようなものですか? 日本社会との共通点はありますか?

 アカとンガンドゥは同じ地域・同じ生態系に暮らしていますが、社会のあり方や対人関係の築き方、育児、価値観など両者の文化は大きく異なっています。どちらかといえば、日本の社会には農耕民であるンガンドゥの社会と似ている点が多く見られます。

 たとえば、アカの社会は平等主義的で、リーダーはおらず、収穫物や道具類を分け合う「シェアリング」という価値観を大切にしています。それに対して、ンガンドゥの社会ではクランと呼ばれる出自集団どうしの政治的な連帯に価値が置かれており、アカのように物のシェアリングを行わず、代わりに返礼を伴う贈与関係が中心になります。また、父や夫を尊重すべきという、親族関係に基づく秩序を重視します。

 本書の第1章ではアカとンガンドゥの女性たちが子どものころに教わったことを語っています。アカの少女たちは森でのヤマノイモ採集や動物の狩りの仕方と同時に、シェアリングの大切さを学びます。食べ物を独り占めしたら「あの子はほんとにケチ!(本書、p.130)」と言われるそうです。一方、ンガンドゥの少女たちは周りの人を尊敬することの大切さを教わります。ある女性は幼いころに母親から、いつか結婚したら「夫によく尽くさないといけない(本書、p.118)」と言われたと語っています。

 ンガンドゥでは男性が女性に手を出すことが多く、しつけのために子どもを叩くこともあります。もしアカで子どもを不用意に叩いたら離婚沙汰になってしまいます。日本の社会は家父長制を基盤としてきた歴史があり、ジェンダー間の不平等や家庭内暴力についてもンガンドゥ社会のあり方に近いといえるでしょう。

 

バカ・ピグミーの分配の場面。

バカ・ピグミーの分配の場面。バカはアカと同じく狩猟採集民。(撮影:服部志帆)

 

アカやンガンドゥのような小規模社会について研究することで、どんなことが分かるのでしょうか?

 本書は、狩猟採集や農耕を基盤とする小規模社会に目を向けることによって、人間の普遍的な特性を描き出そうとしたものです。このような社会は、技術や資本(富)を集中化しない生産様式をもち、人口密度が低いまま現代に至り、政治や経済が先進国の社会のように複雑に階層化することもありませんでした。一見、日本などの先進国の社会とは非常に異なっているようですが、人類としての共通性も多く見られます。

 本書で挙げられている人間の普遍的な特性の一つに、生物学的な母親以外からなされる子どもへのケア、すなわち「アロマターナル・ケア」や「共同育児」があります。

 アカやンガンドゥの赤ちゃんは母親以外に祖母や兄弟姉妹たちからも手厚く世話をされて育ちます。また、特にアカの社会では、男性が育児を積極的に行い、子どもたちを狩りにも連れて行って、長い時間を一緒に過ごします。

 このような育児はそもそも人類に普遍的な形態でしたが、現代の日本では母親に過度の役割と責任が押し付けられるようになってしまっています。近年では男性の育休など、男性の育児への関わりにも光が当たってきていますが、他の社会の例を見ながら、日本の人々ももっと自分たちを相対化する必要がありそうです。

 

子守をするバカ・ピグミーの男性。

子守をするバカ・ピグミーの男性。(撮影:服部志帆)

 

「ワンオペ育児」は当たり前ではないんですね。
ほかにも子どもの成長については、「社会的学習」が人間の普遍的特性だとされています。

 社会的学習とは、学校教育のような制度化された教示のほかに、遊びのなかで他人を観察してまねをしたり、競争し合ったり、といったさまざまなインフォーマルな学びを含んだ他者からの学習のことです。

 アカやンガンドゥの子どもたちは、火の起こし方や森の歩き方などの実践から、アカであれば平等主義、ンガンドゥであれば親族関係の秩序といった自分たちの文化に特有の価値や信念まで、生き抜くために必要な知識を年上や同年代の子どもたち、大人たちと遊ぶなかで試行錯誤しながら学んでいきます。

 たとえばお母さんの真似をする「ままごと」は日本でよく知られた遊びですが、ンガンドゥやアカの社会にもあります。ンガンドゥ女性のブロンディーヌは次のように「バナナの赤ちゃん」を一番の思い出として語っています。

 

バナナの葉や他の葉を切って束にして背中に結びつけて,私たちの赤ちゃん,バナナの赤ちゃんにしたんだ! 最高の思い出は,母が私の背中にバナナの赤ちゃんを付けてくれたこと.それから,棒とバナナの葉をとって,傘のようにしてくれたから,私は赤ちゃんをもつ大人の女のようだった.(本書、p.117)

 

 このように子どもたちは身近なものを遊びの道具にして、「ごっこ遊び」の中で家事や育児にふれていきます。このような社会的学習は人類に固有のものだと言われています。もちろん、学ぶ内容は文化によって異なりますが、アカもンガンドゥも日本の子どもたちも、社会的学習によって集団の中で生きていくための基盤を身に着けていくことは同じなのです。

 日本では、教育といえば学校教育ばかりが想像されがちですが、小規模社会における学びのあり方を丁寧に見ていくことで、人間の学びのユニークさや可能性について考えることができます。

 

バナナの偽茎をおんぶする少女。(撮影:四方篝)

 

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『アフリカの森の女たち―文化・進化・発達の人類学』

ボニー・ヒューレット(著)/服部志帆、大石高典、戸田美佳子(訳)
好評発売中

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