第 一 号





竹内 敏晴
Toshiharu Takeuchi

(演出家)
祝 う


三浦衛君は熱血漢である。
出版文化への志たぎって、憤然として同志と共に新しい拠点を立ち上げた。最初の刊行が、「新井奥邃」と聞けばその志の高さを知ることが出来る。されば、春風社にちなんで

  虹を吐いて 開かんとする 牡丹哉

と、蕪村の一句を贈って出発を祝おう。だが、かれのことだ。そんなに華々しくはいきませんよ、まだまだ苦労の夜道です、と言うならば、いっそ、時は夏に向う、群れ立つ同志の方々もつわもの揃いと見うけた。こうはげましのことばに代えようか。

  音立てて 竹が皮脱ぐ 月夜かな (小林康治)

(二〇〇〇年五月記)



山折 哲雄
Tetsuo Yamaori

(宗教学者)
売ってしまった賢治全集


 このところ演歌が下火になり、クラシックの人気が下降ぎみなのだという。思うに、かつての居酒屋泥酔文化が低迷し、それとともにプチブル教養主義も権威失墜の運命にあるということなのだろう。

 それにかわって、ケイタイがわがもの顔に街頭を闊歩し、インターネットの電子亡霊が昼夜の別なく世間を騒がせる時代になっているようだ。本というものに三下り半がつきつけられているのだろう。もはや本は設備品の棚から引きずりおろされて、消耗品のコーナーに移しかえられているのかもしれない。本は、紙くず同然になってしまうのだろうか。

 戦後まもないころ中学生だった私は、戦前に十字屋という書店から出版された宮沢賢治全集を手に入れて、得意になっていたことがある。たしか全八巻に別巻がついていたと思う。編集委員のなかに高村光太郎と草野心平の名があったことを覚えている。二人とも、もっとも早い時期に賢治の作品を認めていたのである。箱と背表紙に「宮沢賢治全集」と書いたのが高村光太郎だった。背筋の通った、凛とした書体であったことが、いまでも眼前に甦る。

敗戦の前から、私はたまたま賢治のふるさと花巻に疎開していた。そしてまもなく、光太郎がその花巻の地にやってきた。戦争讃美の詩を書いた、その罪滅ぼしのためであった。
ある日私は、花巻の町を歩いている光太郎の姿をみつけて、あとをつけていった。大きいからだにつまごを履き、ゆっくり雪道を歩いていたのである。やがて光太郎は花巻を去り、私は大学生になって花巻を離れた。貧しい学生生活を余儀なくされることになったが、わずかの金銭を得るためにあの十字屋版の賢治全集を古本屋に売ってしまった。それがいま、悔まれてならない。



安原 顯
Akira Yasuhara

(スーパーエディター)
革命に乗れ!


大空社にいた三浦衛さんが、仲間と一緒に新しい出版社「春風社」を立ち上げてから、すでに一年になるのだそうだ。彼との出会いは、ぼくがやっていた「創作学校」の生徒としてだった。いまも同様だろうが、彼は、若いのに丸刈り、銀縁の眼鏡をかけ、風貌だけは「文士」を思わせたが、書くものは前衛風、なかなか難解な小説を書いていた。一方彼は、やり手の編集者として、雑誌『人間』の復刻、正岡子規編集の新聞『小日本』の復刻など、意表を突く企画で、われわれを仰天させもした。

 その彼から久し振りに電話があり、「「春風社」のPR誌を作る。ついては「新しい出版文化の創造に向けて」といった内容で、何か書いてほしい」と言う。ロシアのように、崩壊寸前のクソ国家日本に住みながら、知らんぷりをして、「新しい出版文化」などと言ってのけるあたりが三浦衛の三浦衛たる所以で、思わず笑ってしまったが、思えば敗戦後からずっと日本は腐りに腐り、遂に、にっちもさっちも行かぬところに来た訳だが、考えてみれば、ぼく自身も含む糞真面目な大馬鹿者らが日本の崩壊、少しは遅らせたところがあるのではないだろうか。しかし、もはやどん詰まり、もう如何ともしがたい。

 しかし、幸か不幸かインターネットとかいう化け物が登場、全世界が「産業革命」の嵐に巻き込まれている。どうせ馬鹿人類のこと、TV同様、このニュー・メディアも結局は使いこなせず、あるいは誤用し、自閉的人間の玩具に堕することは目に見えているが、版元にとっては「吉」と出るような気がする。つまり、愚劣旧弊な取次は不要、営業努力をせぬ/出来ぬ馬鹿書店は潰れ、版元は、読者と直接取引になるためロスがなく、計画的に商品が生産できるからだ。
ぼくは日本に絶望しきっているが、この「革命」には心動かされ、早速、七月四日に立ち上げ予定の日本最大、最速のネット書店「bk1(ビーケーワン)」((株)BOOK1)、文芸サイトの編集長をやることにし、いま妙にはりきっている。
春風社も、この「革命」にきちんと乗って商売をすれば、おそらく大成功との予感がする。頭を切り替え、この「革命」を大いに利用して欲しい。