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| 第 ニ 号 |
| 竹内 敏晴 Toshiharu Takeuchi (演出家) |
ことばの底 変容するからだとことば(2) まだ読まないでください。 読む前にこの文をだれかに渡して、数分間その人の指示に従って一つの実験をしてみて下さい。 (以下は、その相手の人だけが読むこと) こう言うのです。 「まず目をつぶって。これからわたしが一つのことばを投げかけますから、聞いたとたんにパッと浮んだイメージ、見えた、のでも聞いたのでも、あるいは漠然と感じた、のでもいいから、それにある時間集中して、イメージが変っていったら追いかけて下さい。 ではいきます(間)がっこう―」 一分間たったら「はい、目を開けて」と言って下さい。 さて、どんな風景が、あなたの胸の内に広がっただろうか? 昨年秋、ふと思いついて試みたこのレッスンで、わたしは胸が冷えるようなショックを受けた。答える人も答える人も、ただ学校の建物ばかり、人間は一人も現われなかった。例えば、―ひとけのない校庭の向うに時計台のついた校舎がある。玄関から入ってゆくと、長い長い廊下があって、両側にびっしりと椅子が積み上げられている。その谷間を行けども行けども、人っ子ひとりいない― 学校ってのはなんだろう。子どもたちがわあわあぶつかり合い、先生が懸命になってジュギョーしているところじゃなかったのだろうか? 古いことばで言う「学び舎」の、子どもの成長の場の機能は全く忘れ去られて、ただイレモノだけがシンと立っているということは― 今、お母さん方や教育関係者たちが熱心に教育論議を闘わしていても、そのことばの底、意識の下には、この冷やかなイメージが岩のようにうづくまっている、としたならば―。 「学校」というものにもはや命脈はない、ということなのだろうか? それとも、どんなエネルギーがからだの奥から湧き出して、このイメージをゆるがして行くのだろうか? |
| 飯島 耕一 Kouichi Iijima (詩人) |
出版人と読者のこと わたしの著作の出版部数はいつも二千部か、多くて三千部といったところだ。一度だけ青土社から出した詩集 『ゴヤのファースト・ネームは』 が、増刷して五千五百部まで行き、編集の人もわたしも驚いてしまった。 長くものを書いてきてつくづく思うのは、そのようなわたしの著作を出版したいと言ってくれる編集者、出版人が次々と現われたことである。伊達得夫、小田久郎、小野二郎(のちの英文学者)、清水康雄、秋山実、安原顯、辻井忠男といった、無鉄砲というか向こう見ずな人々である。まだまだ何人もの人がいるが、こういう出版人に囲まれて、わたしは幸運な作者だったと思わないわけにはいかない。 一度だって彼らは売れなかったなどとは言わず、「大丈夫なのか」 と訊くと、「倉庫に二、三冊残っているくらいなものですよ」 と答えるのだった。伊達、清水、小野の三氏はすでに故人となったが、そのほかの人々の壮健ならんことを心から祈っている。 最近会った人では藤原良雄氏もそのような向こう見ずの一人と思われ、氏はバルザックの新訳出版をこの時代に試み、わたしもなかでも大長篇を、上下二巻翻訳刊行したところである。 もう一つは、二千部か三千部の本を買ってくれた読者である。わたしはこの人々を裏切ることはできない。人間、年をとると名誉心のみが強くなるらしく、思いがけない人が思いがけない行為に出たりする。 二千人の長年の読者こそがわたしの誇るべきものだと時々自分に言い聞かすようにしている昨今だ。 |
| 西澤 潤一 Junichi Nishizawa (岩手県立大学学長) |
美と慾とのはざまにて ルオーは私の好きな画家の一人であるが、世に認められない前半生は、乱れる心そのままに全く暗い画調で、それが私の心に共鳴したし、後半生に至って、自らの心に平静を取り戻し愛を信ずるようになると共に静かな明るさが画面に溢れるようになると共に、世の認めるところとなった。その時の中心人物の一人が福島繁太郎氏だったが故に日本はルオー王国となることが出来た。 このルオー・ファンの中にはモネはペンキ職人だとまで酷評する方がおられる。それでも、私はモネが大好きである。明るさが観る人の心まで暖たかくしてくれる。 チューリッヒの湖の畔を歩いていたら書斎用品の販売店の店頭においてあった大型デスクの上に厚いモネの全集と覚しき三冊物がおいてあるのが目に入った。どうせ懐中乏しいのだから買える筈はないが、日本から送金して送って貰えないだろうかなど考えて店の前を行きつ戻りつ何回も歩いたが、遂に入ってゆく勇気が出ずに、心残りのまま帰国した。 ところが、無駄話しと貧乏人相応の小物を推めてくれる画廊の事務室の机の上にその画集があるのを見付けて、其処は日本の気安さで、いろいろ聞いて見たら、私が初めて見た頃スイスの研究所で出版になった作品名鑑でもう絶版になっており、其処にあった本は、ニューヨークの古書商に依頼して入手したもので、今は一冊百万はするだろうとのことで悔いは増々大きくなった。 ところが学士会館で時々ある会議の中休みに抜け出して神保町の画集専門の書店の棚の中にそれを発見! しかも四冊、そしてたったの八万円、飛び上らんばかりにして入手、しかも五冊目も出ているとのことで、新本を正式に輸入してもらったら五冊目だけで二十万余円だった。それでもすっかり迂頂点になっていたら、ワシントンのフィリップ美術館で新版を発見、殆んど全カラーで、印刷もよくなっている。早速購入、値段は六万円だった。 |
| 四方田 犬彦 Yomota Inuhiko (明治学院大学教授・映画史) |
『悪の華』の翻訳について 十年ひと昔のように変化してゆく日本語の世界に生まれ落ちてしまったせいか、それなりにかつてはよく読まれたであろう有名な翻訳書を手にとってみると、落胆することが多い。文体の古色蒼然とした佇まいばかりが気になってしまい、食物でいえば賞味期限が切れた状態になっている。戦前のロシア文学やドイツ文学の翻訳で、今日読むに値する日本語の文体を保ちえている書物は、いったいどれほどあるだろうか。今日流行しているフランスの現代哲学の翻訳のなかで、半世紀後に生き残っているものが、はたしてどれくらいあるだろうか。林達夫が最晩年に、若き日に手がけたベルグソンの 『笑』 にもう一度向かい直そうとしたのは、この間の事情を痛切に了解していたからである。 実はわたしには、前々から気になっている翻訳家がひとりいる。一九三四年に耕進社という出版社からボードレールの 『悪の華』 を散文体で全訳した矢野文夫という人物である。現在のボードレール学の発展からすれば細部の解釈で曖昧なところはあるだろうが、ともかく翻訳がすばらしい。鈴木信太郎のように、過剰に仏典謡曲の修辞をちらつかせることもなく、かといって戦後のあまたの研究家のように註釈倒れになることもなく、みごとに簡潔にして凝縮された文体が実現されている。わたしは十四歳のときから、一貫して彼を通してボードレールを読んできた。 いったいどのような経歴の人物なのか。他にも詩業のようなものを遺しているのか。それが知りたいのだが、まったく手がかりというものがない。書物の後記によれば山室静や林達夫と交際のあった人だとわかるが、残余は謎なのである。どなたか、ご教示をいただけないだろうか。 |