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| 第 三 号 ワイワイガヤガヤ通信 |
| 小出 龍太郎 Ryutaro Koide (大阪芸術大学短期大学部助教授) |
楢重の光 小出楢重という洋画家をご存知だろうか?得意としたのは裸婦、静物画、そしてガラス絵などだが風景画も結構な数残している。 子どもの頃、そして美術学校と日本画から絵を学び始めた人なのでその類もあるし、日本文化の中で西洋画をいかに描くかという問題に取り組んだ人でもある。 明治二十年に生まれ、昭和六年に四十三歳余りで没した、これが私の祖父だ。もともと心臓が弱く、長生き出来るとは本人も思っていなかったようで、それ故にか残された作品には渾身の力が込められているという評価を頂いている。 耽美的な室内画が多く、彼独自の、写実ながらも少し幻想味を帯びた美の世界へ我々を誘ってくれる。体力との関係で、絵の道具を担いで戸外を歩くということが晩年には非常な苦痛を伴ったから、風景画は年を経るにつれ減少し、芦屋の自宅近辺が主題となる。 しかし不思議なことに彼の風景画の多くは室内画における幻想世界を一掃するかのように、健全な理知の光と、なにやら解らぬ温かみと浄化された空気に溢れている。それが「太陽の光」が持つ神秘の意味なのかも知れない。「南フランス」や「芦屋」の風景画にそれが見られる。写実が基本の人だから当然と言うことも出来る。そこでは陽光が彼の心に普段とは明らかに違う想いを、滋養のように与えていたように感じられる。 おそらく毎日の、アトリエという北窓の暮らしの中で「描いては消し描いては消し」する苦労の連続で、鬱々と湿った己が心をあたかも虫干しするかのような心持ちで、気分転換、太陽を浴びていたのではないかと想う。「枯木のある風景」がそんな楢重の風景画の集大成であり、絶筆ともなった。 |
| 木村 昌彦 Akihiko Kimura (横浜国大助教授) |
ミスジャッジ? シドニーオリンピックが終わり半年が過ぎた。女子柔道のコーチとして当地に赴き、見聞を広げてきたが、あらゆる情報が瞬時に伝わる現代社会において、改めて文化の違いということに思いをはせる出来事に遭った。 日本でも報道され、論議を巻き起こした男子柔道無差別級の決勝である。 ミスジャッジではないかとの抗議の電話やFAXが日本の放送局へも殺到したことは現地でも耳にはさんだ。事実として、ミスジャッジがあったかどうかとは別に、篠原がインタビューに答えて「弱いから負けたんです。ただそれだけです」と語ったことについて、なぜもっと抗議しないんだ、という声も確かにあったろうが、むしろ、潔さ、スポーツとしての柔道の前に修行の道としての柔道、いわば、やわら柔の道を志すものの発言として、尊重すべき、との声も多かったのではないだろうか。 しかし、優勝者ドゥイエの対応は全く逆のものだった。自分が世界の頂点に立つものとしてあらゆる場面で自己を正当化し、アピールする。篠原本人が負けを認めているのに、山下監督はじめ周囲がああだこうだと言うのはおかしい。大雑把に言えばそういうことで、しかもそういう論調が少数派ではなかったということである。 どのスポーツも、元はといえば、独自の精神風土の中に生まれはぐくまれてきた。それが世界の檜舞台で競われるとき、意外な裂け目を生むことがある。柔道で言えば、ワザアリはカタカナ四文字ですむ話ではないことを、まざまざと見せつけられた事件であった。 |
| 西村 淳 Atsushi Nishimura (海上保安官) |
南極の雨 「南極にも雨が降るんだヨー それも春に」と変な伝言を残し、先輩の隊「第二十九次隊」が昭和基地を後にしてから早一年。もちろん昭和基地のある東オングル島一体では、雨は一粒も降らなかった。もちろん水が凍って吹き付けてくる「ブリザード」の洗礼はたっぷりあったが……。 帰国も間近な十二月、ぽかぽかと日の当たる温かなある日、機械隊員の「大堀氏」が食堂に飛び込んできた。 「西やん雨が降ってるヨー」 あわてて廊下に飛び出した。雨がザーザーと降っていた。現在は立派な通路棟が建てられている「昭和基地」だが、当時の建物は築三十年の代物であちこち老朽化が進んでいた。冬の間に建物に凍結した氷が、暖気で溶けだしあちこちのすきまからあたかも豪雨のように昭和基地内に降り注いでいた。 みんなで氷除去作業に突入したのだが、私にとってあの水漏れは、厳しい冬を無事に過ごした越冬隊員に、南極の自然がそっと微笑んで与えてくれる「春の雨」の様な気がしてならない。 南極の雨……今も温かく胸に深く染み通り、うるおいを与え続けてくれている。 |
| 藤原 正範 Fujiwara (神戸家庭裁判所) |
家裁調査官 「家裁調査官ってどんな仕事なの?」とよく訊かれますが、家裁調査官である私にとっても、これはむずかしい質問です。一口で説明できないので、私が毎日している作業を並べてみます。 @人と話をします。 A話の内容から、その人の過去・現在・将来を一生懸命考えます。 B話の内容に私の考えを少し加え、文章にします。 ここで出てくる「人」とは、非行少年であったり、夫婦喧嘩をしている夫婦であったりします。作った文章の提出先は「裁判官」です。 人の過去・現在・将来を考える作業はたいへんなことです。少しばかり心理学を学んだから、カウンセリング技法を習得したからといって万能ではありません。それどころか、使いようによっては、学問や技術は作業の邪魔にさえなります。自分のことはよくわからないのですが、職場の同僚を見ていて、結局、調査官は「その人の性格」で仕事をしているなと思います。 人の心は洞窟のようなものです。私たちは小さな懐中電灯で照らして見えたものから、こうではない、ああではないと考えていくしかないのです。そして、その照らし方は、調査官ひとりひとりの性格によって「癖」が出てくるように思います。ある方向ばかりを照らしたがる者、あっちこっち明かりを動かしまわる者などなど。 裁判官の判断のもとになる家裁調査官の仕事が、こんなにもたよりないものであることを告白したような気がします。人を裁くという司法の世界。そこには常に不安がともないます。その隙間をうめる努力の産物として、私たちの仕事が存在するのでしょう。私は、きょうも小さな懐中電灯を片手に、心の闇に向かっていきます。 |
| 矢萩 多聞 Tamon Yahagi (画家) |
現在編集進行中 南インド・バンガロール。インドで最も現代的であり、オープンで穏やかな気質をもつ、緑多き街。このバンガロールに去年から住みつき始めた僕は、今年の夏に春風社から出版される本を作っている。 この時期、三〜五月はインドでは乾期。先月までは鮮やかなオレンジの花をつけていたアフリカンツリーも今では花を落とし、乾いた砂埃が開け放たれた窓から吹き込んでくる。少し掃除を怠るとすぐ机の上は埃と砂が積もってしまう。二、三日に一回は停電もあり、そんな時は編集を中断。蝋燭に火をつけて、ベッドの上で南瓜で出来た弦楽器タンブーラをびぃぃぃんと爪弾いては時を過ごす。 インドでは、何気ない日常でさえも、僕にとっては興奮と発見の連続。歌舞、映画、言葉、食、路上、自然、人…それらの出会いの中でインドは僕を刺激し、飽きさせることは無い。 こないだ、九年ぶりにここから八時間ほど離れたとある町に行ってきた。この町に以前に訪れたのは僕が11才の頃。町は人と建物とゴミが増え、随分と賑やかになっていた。そんな町の変貌に少し寂しくなりながら歩いていると、神様の祀ってある木の木陰で、椰子の実を売る露天商を見つけた。九年前となにひとつ変わらない姿でその店はあった。九年前の同じ場所で同じ風に吹かれながら、僕は椰子を静かに飲み干した。時の中で変わりゆくもの、変わらないもの…色んな想いを感じながら。 |
| 佐々木 安恵 Yasue Sasaki (ショップオーナー) |
春風亭本日開店 人の集うところに旨いものあり、旨いものあれば集いはさらに深まっていく。春風亭ご亭主の人の味、隠し味。 麺は山形は米沢よりのお取り寄せ。メンマは、ご当地横浜中華街ご用達の一品。さてそれからスープの仕込みにかかること三日。秘伝の濃口・薄口スープをつくりメンマを味付けし、準備万端ととのえ本日開店のお声がかかる。招かれた客たちはビールを交わしつつ待つのがお約束。空きっ腹にきゅっとしみる。 「お待ちどおさま」 厨房から少し押さえたご亭主の声。つづいてラーメン丼ぶりのご登場。運んでくださるのはいずれ劣らぬ美女ぞろい。最初の丼ぶりがだれの前に置かれるか、ちらりちらりと気にしつつ「○○さんどうぞお先に」「いえ、△△さんこそどうぞ」 とりあえずは大人の気取りで譲り合う風をしていても、目の前にとんと置かれれば後は遠慮無用。急がずとも丼ぶりの中身は逃げて行かないと分かっていても、麺をずるずるスープをズーズー。半分ほど平らげたあたりでハッと気づく。 「美味しい……」 厨房に向かって声をかける。ご亭主はにこやかに顔をみせ、お替わりをすすめてくださる。三十食完食にて閉店となる春風亭のご亭主はこだわりの職人。春風社代表三浦衛氏。 |