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| 第 六 号 |
谷川 俊太郎 |
主人公たちと 昼下がりの公園のベンチで、物語の主人公たち三人と一緒になった。言い合わせたようにミネラルのペットボトルを手にしている。三人ともあまり元気がない。「どうだい、君らの物語は?面白く展開しそうかい?」と私が訊ねると、ひとりが「もうくたびれちまった、やたら忙しくて」と答える。 するともうひとりが、これは女だったが、「若いうちはいいんだけど、年とってくると呆けがねえ」と言う。私が「呆けてからのほうが物語はハチャメチャで面白いんじゃないの?」と問うと、「そうは言うけど、この世からあの世へお話をつなげるのが難しくてね」と答える。 もうひとりの主人公は老人だったが、この人は「筋が複雑になり過ぎて私にはもうついて行けません」と心細いことを言う。「だって今の世の中が複雑なんだから、しょうがないじゃん」と私が言うと、老人は「人生は結局生まれた、愛した、死んだに尽きるんじゃありませんかねえ」と身も蓋もない。 「詩人が羨ましい」とこれは最初の男。「どうしてだい?」と問うと、「だって詩ってのは物語らなくていいんでしょ、筋がなくても場面さえありゃいいんだから」と手厳しい。なるほどそう言えば詩には過去も未来もなくただ現在しかないのかもしれんと、私は思う。 女主人公が言う、「だいたいね、何もかも絵空事になっちゃうんですよ、現実に根を下ろせないもんだから、どんな荒唐無稽も許されてしまう」「でも私には私だけにしかない物語が確かにあるんだけどね」と私が反論すると、「流行りの自分史ってやつですか」と意地が悪い。これまでを書くんじゃなくて、これからを生身で生きるのが物語なのにと私は思うが、口には出さない。 陽がかげってきた。三人がよっこらしょと立ち上がった。「お握りにする、それともヒレカツ弁当?」と女が言うと、老人が「ここらにコンビニあるかね」と私に訊くから道順を教えてやった。 |
| 田口 ランディ Randi Taguchi (作家) |
存在のふるえ パソコンの液晶画面を眺めながら、私は「ものがたりの可能性」について考えていた。 「なんかさー、ものがたりって、しみじみ噛みしめると変な言葉だね」「そうだね、モノ−ガタリ」 「モノってなんだろう?」「物であり者であるなら、モノはこの世界の存在のあらゆる形」 「カタリってなんだろう?」「モノがもってる固有の振動を言語翻訳することだよ」 「そうかあ、じゃあ、ものがたりは存在の震えだね。つきつめれば森羅万象の有り様のことだね」 「あなたの震えこそが、あなたのものがたり。田口ランディという者の震えの言語翻訳化。震えは言葉になることを身もだえするから、語りはいつも語りえないことで完結する」 「ものがたりは、不完全なの?」「たぶん、いつも」 「救われないね」「そうかな?」 「この文章のテーマはものがたりの可能性なのに」「可能性はないよ」 「ギクっ、なぜ?」「ものがたりは存在の震えだから。それ以上でもそれ以下でもなく、いまここに立ち現れるモノたちの震えの言語翻訳だから」 「もしかして、言葉でピン刺しにした魂の死骸の標本?」「いや、たぶん生きているから不完全なんだよ」 「どうしたらものがたりが現れるの?」「石や木、風やコップ、すべてのものに魂があり、自分と関連していると錯覚すること。自分が主人公になるってそういうことだ」 「すてきな錯覚」「大いなる主人公は、大いなる錯覚をもつ」 「それって誇大妄想のご都合主義?」「すべてのものが自分にとって良きものだとは限らない。理不尽であっても関係は関係だ。関係の仕組みへの妄想が緻密で巨大になるほど、ものがたりは理不尽だ。だからご都合主義ではないのだよ」 「ところで、さっきから気になっていたけど、あなたは誰?」 青年は笑った。「僕は言の葉、コトのハ、現象のかけら」 そう言って目の前で砕け散り、きらきら輝く破片となった。まるで光の雨のよう。 そしてみるみる消えていった。 |
| 山田 太一 Taichi Yamada (作家) |
下手な鉄砲も 人間はむき出しの現実になど耐えられないから、いつも物語を必要としている。基本的にはそう考えている。 残念ながら、直接的にドラマや小説を求めるという形をとることは少いが、たとえば「人生なんだかんだいったって、長い目で見れば案外公平なもんだ」というような言葉は、多くの人を慰撫するし気持に安定をもたらすかもしれないが、事実ではない。そんなことは周囲の人生を少しその気で見れば分ることだが、そうした言葉は簡単に消えない。それはつまり事実を語っているのではなく、願いを語っているからだろう。それが願いという形をとらず、あたかも事実のように語られるのは、その願いの切実さのあらわれとはいえないだろうか。 物語の一つの大きな役割は願望の表現である。とりとめなく、なにが起るか分らない、方向性もない現実だけで人は生きられないから、願望を根拠に「物語」をうみ出して、茫漠とした現実に秩序や目標を手にしようとするのだと思う。「最後は正義が勝つ」とか「失望に終る希望はない」とか。 それは現実と照らし合わせれば、かなりうさんくさい物言いなのだが、もともと現実からの飛躍を根拠にして生まれた物語なのだから、うさんくささは必須の条件なのである。 しかし、「いくらなんだって、それはないだろう」という限度があり、度がすぎた物語は消えて行く。「愛は永遠なり」とか「いざとなれば神風が吹く」(かなり古いけど)とか。 では、そのようにして物語のうさんくささを裁く「現実」を私たちはどのくらい承知しているのかといえば、かなり「現実」にひどい目に遭っても、案外それを把握していないということが、いくらでもある。 皮肉で「いい男」といわれたのを本気にしたり、意地悪されてるのに「鍛えてくれている」と感謝したりというような混沌と齟齬の中で、私たちは生きている。 それを身も蓋もなく指摘するというやり方も勿論ある。しかし、多くの場合、現実は、ある程度踏み込むと、それ以上は書けない、指摘できないという限界にぶつかってしまう。それ以上踏み込むと、対象をこわしてしまうというような。あるいは、事実に即していてはあまりに複雑で奥が深く、とても表現できない、というような限界に。 そこでまた物語が登場して、フィクションを通さなくては語れない現実を、語ることになるのだと思う。自分の現実をそのまま語るのは抵抗があるが、「友だちのこと」とひとたらしのフィクションをたらせば、はるかに語りやすくなるように、私たちは現実を把握するためにもフィクションを必要としているのだと思う。 そのように私たちは「ものがたり」なくしては片時も生きていられないのに、その「ものがたり」の創造、変移に小説、演劇、映画、ドラマがいくらも関わることができないとすれば、こんな奇妙な話はない。可能性があるとかないとか、という呑気な話ではなく、私たちは切実に「ものがたり」を必要としているのだから、もっともっと物語ってもらいたいものだ、と思っている。沢山の人の下手な鉄砲も、数撃ちゃ当るで、中からきっと私たちが切実に必要とする「ものがたり」が、うまれてこないはずはない。他人事のようにいってはいけないのだが、それはまあ慎しみというようなものである。 |
| 吉増 剛造 Gouzou Yoshimasu (詩人) |
小さなものたちとともに ――2002.9.27京都 (八重千瀬の……)宝貝、八、九コ(個)、アイヌの方々の大切な神具イクパスイ、仏蘭西はOrlensの古層の(クロード・ムシャール教授宅地下の酒庫、ローマ時代ころの)小石一ツ、アメリカ・インディアンのカチーナ人形三体、…… なんだか移動墳墓の明器(めいき)みたいなのね、……(これは「影の声」)、……カナヅチとタガネと長巻〇・一ミリ銅葉を持たせて、わたくしにこれらのものたちとの「旅」をさせてくれることになった、三十五年来の親友(とも)鉄の彫刻家若林奮(いさむ)さんが造った真鍮のハナの茎(くき)、銅の葉ッパ、三本一葉(よう)、それに中国製の色々の火器(ランプ)が加わって、舞台の隅に、それを「お店のように、……」展(ひろ)げると、ものたちが小声で語りはじめるようになってきていた。 小津安二郎作品の赤いケトルや空気枕やカサや『晩春』の寝息や古壷、……ではないけれども、ものたちの気息に耳をかたむけるわたくしたちの心のなかの言葉の賑(にぎ)わいに、「小さなものたちとの旅」をしながら、近づき、そこに少し身を正して坐るということをしているようだった、……。 そんなことをしながらきのうの夜(二〇〇二年九月二十七日金曜日)は、京都三条通、御幸町角、かつての毎日新聞社ビル、いまの名称は「Art complex 1928」の丸天井(まるてんじょう)の三階で持たれたあたらしいイベント「Edge in Kyoto〜映画と詩の間」にわたくしも参加して、八十人ほどの若いきらきらした眼とその奥のこころに話しかけていた。“昔、ずっと幼いころでした、「夜店」のかがやきや、祭礼のときの「お店」の「櫻(さくら)さん」に驚嘆した記憶が、ずっとつづいて、樹下に坐るようにして、こうして坐っているのかも知れません、……”。 終演のとき、わたくしはいきなり手にしたツチで舞台をはげしく打ちはじめた。大工の棟梁(とうりょう)が下職を叱咤、檄(げき)を飛ばす声を、たしかに耳にしていた、……。何の力(ちから)だったのか。カチーナ人形も宝貝も、ふるえていたことだろう。ものたちとのものがたり。それが、いま、こうしてゆっくりとはじまろうとしていたのかも知れなかった。 |
| 中沢 新一 Shinichi Nakazawa (宗教学者) |
モノ語りの発生 物語をあらわすヨーロッパ語の「ヒストリー」や「ストーリー」などと違って、日本語の「モノガタリ」は最初から霊的な現象に関わりをもっている。このことばは 「モノ」と「カタリ」の合成語で、このうちの「モノ」が直接に霊力の現象をさしているからである。「モノ」は同じように霊力にかかわることを表現する「タマ」や「カミ」の仲間ではあるが、落ち着くべきところに落ち着けない、中心の秩序からはずれてしまったために、そのままでは善い働きをすることができなくなっている霊力のことを、意味している。そういう「モノ」を鎮めて、しかるべき場所に安置してやろうとする「鎮魂」の技術のひとつとして、「語り」ということがおこなわれた。これはとても古い時代からの考えだけれども、『源氏物語』の頃にもまだそういう古代的な感覚は濃厚に残っていたようで、じっさいこの物語の背景に見えない霊の動きが重要な働きをしていることは、多くの国文学者が気づいていたことである。 どこにもおさまりどころのない、中心をはずれた霊の立場に立って、古い物語は語られた。現世では報われることのなかった夢や望みや愛のかけらを抱いたままに、死んでいかなければならなかった者たちに代わって、物語の作者やそれを語ってきかせたり、歌ってきかせたりする人々は、その人たちの思いを表現することによって、「モノ」となって浮遊している霊力をなぐさめ、鎮めるのである。このような「モノ語り」の精神は強靱な生命力をもっていて、現代の日本人の紡ぎ出す物語のうちのすぐれたものの多くは、なんらかの「鎮魂」として書かれているように、私には思われる。早い話が、物語には死や死者の実在感がどうしても必要なのである。 |
| しりあがり寿 Kotobuki Shiriagari (漫画家) |
デタラメの海辺で新しい「因」と「果」を探す 漫画家の天久聖一さんと「ボクたちはなぜついついデタラメを目指してしまうんだろう」などと話をすることがある。信号を待っている人がいきなり犬に喰われる。イチゴジャムをなめてるうちに歌を歌い出す。ステキなデタラメや、なんかピンとくるデタラメに出会った時、ボクらはなぜだかうれしくなる。 きっとそれは新しい「因果」を見つけたからだろう。もう何百年も前、全ての物語の原型はすでに出つくしている、なんてことが言われても、ボクらはあいかわらず、新しい物語が欲しい。それには物語の基本の「因果」をなんとかしなくてはならない。見たこともない「因」に考えたこともない「果」がつく。そこに理屈をこえた、リアルを見つけた時、それこそが新しい「因果」の発見、そして新しい物語の始まりだ。 だいたいこの世に無限にある因と果のうち、納得できる因果なんてホンの一粒にすぎない。たいていのモノゴトは勝手にデタラメに動いている。そう、ボクたちが生きているのはデタラメの大海に浮ぶちっぽけな島だ。その島は人々が何万年も因果をつむいで、つくりあげた物語でできていて、人々はおなじみの物語の中を生きているが、ボクが立っているのはその島の波うち際だ。浜辺にはデタラメの海からワケのわからないものが打ちよせられている。ボクらはそれを拾い上げてはカチンカチン打ち合わせる。するとごくまれに今まで聞いたこともない新しい因果の音がすることがある。 それはまた人の心の中の、「物語のキザシ」とも響きあう。「昔々山道で村人が大きな黒い影と出会いました。」これが「物語のキザシ」だ。その後その黒い影は鬼でした、とか、その鬼は昔罪を犯した村人でした、などという因果がくっつき、仏様の功徳で人は救われる、などとテーマがかぶせられたりする。だけどあくまで物語は村人が黒い影と出会ったその瞬間に含まれている。それは物語のビッグバンだ。その瞬間その人の心にわきあがったおどろき、おそれ、絶望、期待、悔恨、うしろめたさ、畏怖。ありとあらゆるものが未整理のカオスのままそこにある。それこそが物語にリアリティーを与え、新しい因と果を結びつける触媒だ。 物語が生まれた瞬間のあるいは物語に育つ前の芽が出た瞬間のようなナニカをボクは描きたいな。それは完成ではなくそれもまた物語りの始まり。その物語にふれて、人がまた新たな物語をつむぐ、それを読んだ人がまたさらに新たな物語を語る。物語が物語を産む。そんな起点になるような物語が描きたい。そんな日のために今日も浜辺に座わってデタラメの海をながめている。 |
| ウ ペ ン ド ラ Upendra (インド映画監督・俳優) |
「文化」を剥ぐ 私のものがたりは何かという質問に対して答えることはできません。ブッダの「私とは誰か」という問いが困難なように、非常に難しい問題です。強いて言えば、私のものがたりは「ものがたりを語ること」。 私は常に他と違う独自の方法――それが正しいか間違っているかは別にして――で考え、他人とは違う独自のものを創りだすことに面白さを感じます。私は台本づくりから監督・出演まで、すべて自分で行う。他の人には任せない。まず自分が本気で面白いと感じなければ、観客は惹きつけられないでしょう。私が今日映画界である程度の成功を収められたのは、私が映画製作に関わるすべてを自分で行っているからです。 私が映画に情熱を傾ける理由の一つは、それが自分の表現手段だからです。自分を表現するには「自分」を正しく理解する必要があります。間違った「自分」を伝えるわけにはいきません。 以前、ある実験を見ました。猿の親子を箱に入れ、中に水を注ぐ。はじめのうち、母親は子どもを自分の頭上に抱き上げる。ところが、水位が上がり自分の息が苦しくなってくると、子どもを水中に下ろしてしまう。生きるか死ぬかの選択を迫られると自分の子さえ犠牲にする。人間も根本的には適者生存の生きものです。私たちが「文化生活」とよぶことの内実も、この実験に近い見せかけのものが多いのかもしれない。 そういうことを私は人々に伝えたい。 たとえば、妻の前では良い夫を演じつつ妻のいないところで愛人に電話をかける。映画のなかでも主人公は良い面だけを見せる。その常識を打ち破りたい。ですから、悪い面もさらけ出す主人公を創り出しました。観客の多くは彼に共感し何度も映画館に足を運びます。「この映画の主人公は私です」と私に告げた人もいました。 私の映画は、これまでのいわゆる「文化的」映画とは違い、客観的な「現実」を観客に突きつけました。「文化生活」を隠れ蓑にして生きている彼らに大きなインパクトを与えたのには理由があったのです。 |
| 竹内 敏晴 Toshiharu Takeuchi (演出家) |
「身」と「からだ」 哲学者の市川浩さんが亡くなられた。一九七五年にかれは『精神としての身体』を刊行され、わたしは『ことばが劈かれるとき』を出して「主体としてのからだ」の発見について語った。二つの書は日本の身体論の草分けと呼ばれたりして、いくつかの学会で二人並んで質問の矢を浴びていると、どこか「戦友」といった感があったりした。 市川さんは有名になった「身(み)」というキーワードを提出された。身は、刺身と言えば肉(物体)であり、身構えは全身の姿勢、身分とか身内なら社会的な自分を意味する。近代ヨーロッパの、意識(自我)と肉体の二元論を超える視点である。 わたしはかれに多くを学びながらやはり「身」は使わなかった。「あなた」に呼びかける時、意識が「身」=自分に向いていては、声は「あなた」に届かない。カラッポになってはじめて他者へとわたしは劈かれる。わたしにとっては、存在より行動、まさに「カラだ!」こそ根元なのだった。 |