九 





木田元
Gen Kida

(哲学者)

過ぎ去りし想い出は


よくぞ訊いてくださった。子どものころから流行歌が好きで、勝太郎の『島の娘』からドリカムの新曲『やさしいキスをして』まで、ほぼ七十年にわたるその時どきの流行歌、唄えるとは言わないが、だいたい認知できる。

そのなかから一曲と言われても困るが、いまは大塚博堂の『過ぎ去りし想い出は』にしておこう。一九七〇年代の後半に遅いデビューを果たしたが、八枚ほどのアルバムを残し、わずか四年で早逝した薄倖のシンガー・ソングライターである。その広い声域を生かして唄う歌には、抒情性の豊かないい歌が多かった。この歌も自分で作詩作曲したもの。メロディをつけられず、残念だけど、

「過ぎ去りし想い出は/木枯し吹く街のように/孤独な胸の奥深く/通りすぎて行く/愛は雪をとかし恋が芽ばえて/共にくらした日々は/遠い遠い今はむなしい/過ぎ去りし想い出に/ただ一人涙うかべ/若い日のほろにがい酒に/もう一度酔いしれる」
幾度聴いても聞きあきない。




谷川俊太郎
Shuntaro Tanikawa

(詩人)
いっぱいある中の


好きな歌はいっぱいある。しかも次々新しい歌を知っていくから年々増えていく。むかし好きだった歌がいまは嫌いということはほとんどないが、一時期夢中になって聴いていた(あるいは及ばずながら歌っていた)歌をとんと聴かなくなった(あるいは歌わなくなった)ということは間々ある。

で、好きな歌の中にはことばを自分が書いたというのもある。たとえば林光作曲の「ひとくいどじんのサムサム」。土人はいまは差別語だそうだから、この歌はおおやけには歌えない。が、私はときどき人前で歌う。おなかがすいて最後には自分で自分を食ってこの世から消えてしまうサムサムは、核時代の人類の比喩だと言ってくれた批評家の言を信じているからだ。

もうひとつこれは作曲が息子の賢作だから、親子でうぬぼれていると言われてもしかたがないが、赤の他人でこの歌に涙したという人も二人や三人ではないから、あげてもいいだろう。「さようなら」という歌で、かの矢野顕子さんがカバーしてくれているのだから捨てたものではない。

さて、こうやってあげていくときりがない。あまり人に知られていない好きな歌をあげてみよう。詩・ベルトルト・ブレヒト 訳・野村修 作曲・萩京子の「暗い柳の木立のかげ」わずか三節で一人の娘の運命をクロッキーしたような歌。ベンジャミン・ブリトゥンのウエールズ民謡による「トネリコの木立」伴奏の音の動きが好きだ。ブルガリアン・ヴォイスの合唱「トドラは夢見る」神々しいようなハーモニーで歌われる恋の歌。それからこれは知ってる人も多いと思うが今井美樹の歌う「半袖」岩里祐穂の詞がいい、特に「清らかな空 苦しくて…苦しくて…たおれそうになる」というところ。



佐々木幹郎
Mikiro Sasaki

(詩人)

二つの囃子詞――わたしの好きな歌


人形といえば、髪の毛が伸びるとか、昔の人形のまなざしとか――いろんな話があり、会話では一応調子を合わせるものの、人形に対する思い入れめいたものは、私にはない。

強いて言えば、それなりの機能を持つロボットも、まあ人形の仲間であり、人間そっくりなのがアンドロイドということになるけれども、アンドロイドなんてある意味で人間の対極的存在であろう。これはこれで、アンドロイドとして論じるべきなのだ。

大体が人形とは、人間の属性から何を抜き取るかで成立するのである。いのちは当然として、大きさ、機能、その他もろもろ。その結果が可愛いと言われたりグロテスクとされたりするので、正直、人間に近ければ近いほどつまらない。

むしろ私が惹かれるのは、人間とか動物とかから遠く離れていて、何だかよくわからないけれども、そこに人間らしい、あるいは動物らしい属性なり特徴が僅かにあって、ああそうなのだなと思わせる"物体"である。それはすでに象徴的存在なのであって、こちらとしてはどんな想像も活用も思いのままなのだ。まあそれだって人形の部類に入ると言われれば、はあそうですねと頷くしかないが……。

そんなわけで私は、ホラー映画の明確で奇怪な現実感のある怪物より、あるかなしかのこちらの気持ちによってどうにでも受けとめられるオバケのほうが好きであり、骨董店の精密な仕上げの人形より、バラエティショップの変てこな物体に引き寄せられるのである。

小さな目がひとつだけあり、体がけむりで不定形で、ときどき机に出現する――そんなものがあったら、楽しいだろうなあ。




坂田明
Akira Sakata

(ミュージシャン)
日本語で堂々と歌おう


外国で外国人の前で日本語の歌を歌ってみると愕然とする。一番ぐらいで後が続かない。忘れたのではない。日頃歌わないから覚えていないのである。惨憺たる思いだ。

童謡や、わらべ歌など、子供の歌はやはり子供の歌でしかない。だからといって、大人の歌なら知っているかというと、うろ覚えの歌謡曲か、外国の流行歌だ。愕然とする。

最初の衝撃は一九七二年十二月、外国ではなく、日本に復帰直後の沖縄で受けた。すべてはここでのカチャーシー・ショックとでも呼ぶべき琉球体験から始まったといってよい。私が山下洋輔トリオに加入して二本目の仕事が那覇であったのだ。

東アジア、中央アジア、インド、アフリカなどを旅するうちに、そこに湧きあがっている土地の歌に衝撃を受け、そのような歌が連綿と歌い継がれ、また新しいものがどんどん作られている事をうらやましい、とも思った。

十五年近く前から民謡の伊藤多喜雄と共演するようになる。ある日、苫小牧の漁師だった父親の「ソーラン節」で育った彼が「音戸の舟唄」を歌っているのを聴いて、参った。

私の育った、瀬戸内海の田舎、呉の長浜では夕日が休山と倉橋島の間にある音戸の瀬戸に沈んでいった。その「音戸の舟唄」を自分が歌えないとは、一体どういうことか!

「わしは舟が漕げる、学校は漁師の学校じゃった、わしも歌いたい!」そう思いつづけていたが、二〇〇〇年、ついに意を決して「音戸の舟唄」「貝殻節」「斎太郎節」「別れの一本杉」をCDに吹き込んだ。ニューヨークでアメリカのミュージシャンと一緒に作った。

今のところ、ごく一部の世界での快挙でしかないが、何をかいわんやタンヤオおやだ。

白人と黒人のミュージシャンの強力な演奏をバックに、日本語でうなるのは爽快であった。ガハハハハハ! ヤッホー!




中条省平
Shohei Chujo

(学習院大学教授)
想い出の歌


「好きな歌」といわれて困ってしまいました。ジャズ評論家などという音楽の仕事もしていますが、カラオケに行ったことも一度もないし、歌詞をソラで覚えている歌もほとんどありません。いや、ありました。憂歌団の「たくわん」です。ファン以外にこの歌を知っている人は少ないでしょうから、歌詞をここに再現しておきます。

こんな時にも あいつの事を 思い出すなんて
腹がへって 眠れねえのに 思い出すなんて
俺の生涯 抱いた女は 田舎に残した カカア一人
たくわんみてえな 田舎の女 カカア一人だけ

サンジュウ(30)させごろ シジュウ(40)はしごろ 
今じゃそれもすぎ ゴジュウ(50)の坂を下り始めて
お先 真暗
俺の生涯 抱いた女は 田舎に残した カカア一人
たくわんみてえな 田舎の女 カカア一人だけ

じつにヘンな歌で、おまけにかなり下品です。そのうえ、古典的なブルース形式で書かれているのです。しかし、私にとっては、ブルースが本物の日本人の肉体を得たという実感をあたえてくれた記念すべき歌です。

この歌を初めて生で聞いたのは、日比谷野音のジャズフェスティバルに憂歌団が出演した時のことでした。坂田明を擁する全盛期の山下洋輔トリオなど、並みいる強豪ジャズバンドを、憂歌団の「歌」が完全に喰ってしまいました。木村秀勝のボーカルは日本人が得た最高の喉の一つではないでしょうか。でたらめな日本語スキャットで歌ったロケンロール、「ジョニー・B・デタラメ」も凄かったなあ!

そういえば、ほぼ同じ頃、山下洋輔トリオがスイスのモントルージャズ祭に出演した時、アルバート・アイラーの「ゴースト」で人気をさらったのですが、そのクライマックスも、坂田明が「こねこ こねこ こねこ ねこのこ おこぜのこォーッ」と絶叫するハナモゲラ・スキャットだったことを思いだしました。




飯島耕一
Koichi Iijima

(詩人)
アメリカ、40年代・50年代のジャズ


今、イラクで機関銃を構えている米兵(もともと貧しい黒人兵やヒスパニック系の兵が多いと思う)は、自分たちがその名の通りのファシストの軍隊の一人とは考えていないだろう。
無辜の民衆を殺す者をファシストと呼ぶなら、まさしくテロリストなどではなく暴力(圧倒的に強大な米兵、米ファシズムの)に抵抗する女性、子供を含む市民を、アメリカ・ファシズム政権は、羊のように蹴散らしている。

ナチスやムッソリーニのファシスト政権について、またフランスの対ナチス抵抗運動(レジスタンス)について、われわれが誰はばかることなく大きな声で語ったのは、第二次大戦の終った三、四年後のことだった。もうファシズムも抵抗運動(レジスタンス)もあり得ないかのように、楽天的な思いのうちにあった二十歳前後の年代で、アウシュヴィッツをはじめとする収容所に監禁された無辜のユダヤ人(今やシャロンの率いるイスラエルのファシストと化している)に強い同情を注いだのだった。

その後、スターリンの強制収容所など、いろいろな悲惨が明るみに出た。

アメリカはそれでも一九六〇年より以前、ヘミングウェイの自殺する頃までは、まだまだ自由と民主主義の国のように見えた。ヘミングウェイの自殺はショッキングな出来事だったが、40年代、50年代のアメリカには夢がありそうだった。

マイルス・デイヴィスのトランペットをはじめとして40年代、50年代のモダンジャズが東京の街のあちこちに流れ、自由という語は死語ではなかった。今、ブッシュやラムズフェルドの発するフリーダムという語は完全な死語で何の喜びも人にもたらさない。

ジャズをずっと忘れていたが、9・11のあと、わたしはまたジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、バド・パウエルを皮切りに40年代、50年代のモダンジャズのCDを積み上げて聴き始めた。安原顯の早すぎる死のあたりから、わたしはなおも七十を二つも三つも過ぎてCD屋をうろつくようになった。テレビ・新聞でイラク情勢を傍観しているにすぎないが、実はこの原稿を書いている十日前に左手首を骨折して、痛さを味わい、ギプスの何とも言えぬ重さを経験している。映像ではわからぬ痛さ、そして不自由のほんのカケラを味わいつつこの一文を草した。




竹内 敏晴
Toshiharu Takeuchi

(演出家)
チュニジア人の「運ず」


ほぼ一年ぶりに南葛(ナンカツ)、即ち東京都立南葛飾高校定時制へ授業に行った。ここはたぶん東日本で唯一の部落問題研究会がある高校であり、またわたしたちが一九八〇年にこれまたたぶん公立校として初めて演劇を正課として立ち上げた学校である。以来十数年、名古屋へ移ったわたしの後を引き継いでくれた菊池信吾さんや、申谷雄二さんをはじめ、支えて、というより主力となって押し進めて下さった教師の方々に感謝したい。

今年は二つのクラス(必修である)で「銀河鉄道の夜」と「夕鶴」の抜粋を上演するということだったが、わたしは仕事で関西にいて観に行けなかった。VTRで見た上で、まとめないし発展の授業をしてくれ、という要請だった。

VTRを見て驚いた。

「銀河鉄道の夜」はほとんど朗読劇の形だったが、地の文を読む語り手役の数人も、せりふを語るジョバンニ以下の登場人物役も、一語一語を実にくっきりと発音していて、宮沢賢治の文体がまっすぐに現れ伝わってきた。時に、もっと内的な衝迫にかられて崩れてもいいのに、と思うこともあったが。

それより驚いたのは「夕鶴」の配役だった。はじめて悪人役の「惣ど」「運ず」が登場した時、へえ、と思った。「運ず」が黒人だったからである。後で聞いたらチュニジアの人だという。まだ日本語になじみ切れなくて、一語一語棒読みの部分もあるが、ここはわかる! ということばは、思いっきり躍動する。ばしっと相手を打つ。まさに「ことばはアクションだ」った。惣どが「こらあ、いよいよほんものだぞ」と言ったとたんに、こぶしを叩いて全身ではねてヤッタ! と叫んだ。勿論そんなせりふはない。

その後、交代した何人目かの「与ひょう」は、実にみごとな日本語で、語尾も抑揚もどうしてこんなにきちんと、と思ったら、これは中国人だった。ほかにもタイの人、韓国の人。わたしは見ながら、思わずため息をついたり笑い出したりした。

後で申谷さんに聞くと、昨年入学した五七人中一五人までが外国籍だったという。四分の一を越えていることになる。演劇の授業の意味も大きく動きつつあるのだ。




次のページへ