新井奥邃を語る (月報より)



「奥邃広録」との出会い

小野寺 功

 ミレニアムの年を迎え、最近の日本で誰しもが体験していることは、経済のみならず、教育や宗教を含む各領域で、大地がゆらぎ、その心をめぐって深刻な問題が多発していることである。そしてかつて夏目漱石が指摘したように、明治以後の近代化路線がきびしい批判の目にさらされ、ようやく内発的発展の可能性が問われるようになってきていると思う。



 その一つの表われとして、日本人の深層領域の根を問う柳田國男や南方熊楠などの研究の盛況があげられる。しかしそれを一歩進めて、今の私にとって最も関心のある人物は、これまで地下水的真人として少数の人に荷われてきた新井奥邃の存在である。



 一般に宗教や思想に生きる人の場合には、その真価が世に認められるのに五十年はかかるといわれるが、奥邃の場合、はるかにそれを超えている。それ故、思想家の運命は「時と出会う」ことが大切であって、今ようやく「時満ちて」明治以後最深の人格の真価が問われようとしているかにみえる。



 ところで、私がそれまで一度も聞いたことのない奥邃の名に出会ったのは、森信三全集第二十三巻の「わが尊敬する人びと」を読んで以来のことである。当時卓越した哲学者で教育学者でもあられた森先生は、その中でわが敬仰する民族の先人として「隠逸・新井奥邃」「義人・田中正造」「貴種・宮沢賢治」の三人を挙げ、その筆頭に奥邃を位置づけておられたのである。



 これが私にとってきわめて印象的であると同時に、その内容にふれてつぎのように述べておられる。「これは世の常の書ではなく、古今東西の宗教的古典の間に伍しても、何ら遜色のないこの書において、かの道元の『正法眼蔵』に近似した生命の全的緊張に接したのである。」



 以来私はこの森先生の言葉に深く魅了され、何としてもこの「奥邃広録」を入手したいものと、八方手をつくしてみたが、昭和五年から六年にかけての出版では、ほとんど「幻の書」に近いものであった。しかしなかなか諦めきれずにいる時、昭和五十三年の「禅とキリスト教懇談会」の席上、クェーカー教徒の渡辺義雄先生と偶然に出会う機会があった。



 その時の会合で、先生がどのような発言をされたかは全く記憶にないが、ただそこで奥邃について語られ「クェーカーの信仰を日本人のものにする方法の一つとして、私は奥邃の研究にかかわり、それが大変有益であった。」という趣旨の求道体験をのべられたことだけは、鮮明に覚えている。



 私はまさか、こういう場所で奥邃の話を直接聞けるとは予想していなかったので、会合の後、いろいろ質問し、語りあった。先生も私のその熱心さが印象に残っておられたのか、後程お手紙を下さった。



 「先月末の禅基懇談会で御同席致しました老人です。その際新井奥邃先生についてお尋ね頂きましたが、その際先生の特異用語の「二而一」とまた「父母神」について一寸お伝えしました。ただ二而一は神についてばかり用いるのでなく、他の事柄にも用いてあります。先生の語録を読まれると気付かれるでしょうが、先生の教えの中心は、有神無我という語にあると思います。ただしこの無我は仏教でいう無我ではありません。これは私欲、私怒に克ち、私我を脱し、公我を享けて神に奉仕する様態を意味します……。」



 そして奥邃について語っているのでご参考までにといって新渡戸稲造の記念講演で話された「クェーカー主義と土着性」という小冊子を送って下さった。その後先生は一年有余で亡くなられたが、あの奥邃に対する打ちこみようは尋常なものではなかったと思う。



 しばらくして私は、泰子夫人から渡辺先生の「奥邃広録」五巻を借用し、一夏かけて読み、それを「新井奥邃の信仰思想」という論考にまとめて清泉女子大学紀要(三〇号)に発表した。そしてこれが私の「奥邃広録」との本質的かかわりの第一歩であった。



 この作業を通して私が改めて感銘を受けたことは、従来の欧米型キリスト教にはみられない「聖霊論的キリスト教」とでもいうべき自在な新境地が開拓され、一層その思想的根源性が露わになってきていることであった。そしてこの中に私は、東西文化の交錯する日本に最もふさわしい東洋意識に立つ「道としてのキリスト教」を発見し、深い喜びとはげましを覚えたのである。



 以上が私が「奥邃広録」とはじめて出会い、その全容に接するまでのプロセスである。しかしこのように研究したくともなかなか入手できなかった悩みは、大空社からその復刻版が出されるに及んで、ようやく解消された。そしてさらにこの度、春風社から厳密な校訂を経た著作集全十巻の決定版が実現されることになり、これは今後の奥邃研究に計り知れない意義をもつことになると思う。



 以上のことから、私に新井奥邃という人物の偉大さをいち早く洞察し、身をもって示して下さったのは、森信三先生であったといえる。そして今改めて考えてみると、先生自身、西欧哲学に満足されず、我われ日本人の立場から考えた「在るべき哲学」としての「全一学」を構築されたが、それは明らかに奥邃の「二而一」の哲学との深い共通性が認められる。そこに森先生が、戦後奥邃を「日本の新生に対して最もゆかり深き先覚」として憧憬し続けてこられた理由がある。私はこの洞察は正しく、確かな根拠をもつものであると思う。なぜなら奥邃自身、幕末の変動を深刻に体験し、明治維新で自分の方向性を失った時、出会った思想がキリスト教だったからである。



 時代の波浪を乗りこえて遂行された、ヨーロッパの魂ともいうべきキリスト教と、儒教的な誠を核とした日本的霊性との、最深の出会いと人格的統合―そこに奥邃が日本精神史に果した世界史的意義と役割がある。この意味で、奥邃の宗教・思想・哲学は、「伝統と創造の課題における日本的霊性の理念」を追求する私にとって、またとない新世紀を照らす光源なのである。