新井奥邃を語る (月報より)



新井奥邃の射程

金子啓一 (立教大学教員・日本聖書神学校教員)

 新井奥邃の思想は、「単体」としてだけでなく、ある「つらなり」の中で捉えたい─―そう考えてきた。「つらなり」でというのは、奥邃の固有の思想を融解させずに、日本のキリスト教思想史上で捉え返すという試みだ。伝統的なキリスト教正統派や自由主義派の教理・教義理解をモノサシにするのでなく、〈民間神学〉という流れで読み取りたいのだ。その草創期に「新井奥邃」を認めることができるのではと思えるからだ。



 民間神学というのは、断るまでもないが、日本近代史家の鹿野政直氏の「民間学」という発想に依拠している。近代日本の学問史を少し振り返れば、「官学アカデミズム」が、近代日本において国家主導の下に、富国強兵・殖産興業への奉仕を目的として成立してきた。これは、著しく専門性を重視し、正統性を誇り、それ以外の文化的な営みを軽視・排除する傾向を強くもつものであった。それに対する「異議申し立て」というモチーフの下に、民衆的で生活的な側面を重視して自生的に成立した学問を、鹿野氏は、「民間学」という範疇で捉え返した。既成のアカデミズムとは異なる新しい認識対象を切り拓くかたちで結実した学の領域だ。官学アカデミズムが「国家本位」とすると、民間学は「弱者」「犠牲者」への共感、また「生活」や「地域」を対象とし、材料も、前者が欧米の書物が主であるのに、後者は「市井の人々」のうちに求め、そのため担い手も生活者が主だ。前者は「制度」として形成され、後者は「運動」を第一義として展開していった。学・知の方法でも、アカデミズムの輸入型学問は概念分析を中心とする演繹法であり、民間学は実験や観察を手段とする帰納法が選ばれた。それと、文体として、「官僚風」の官学アカデミズムと「日常語を多用しての」民間学という差異があったという。



 私には、こうした近代日本の学問史における〈官学アカデミズム対民間学〉という構図と相似形のように、あるいはその入れ子型として、日本キリスト教神学思想史において〈講壇神学対民間神学〉という様相が読み取れるように思われるのだ。民間神学は、官学アカデミズムへの対抗(それは明示されないこともあるが)と同時に、既成のキリスト教正統派を擁護する講壇神学への批判をもつ。民間神学は民間学の一部を占め、上記で触れた特徴もほぼ共有される。実際、鹿野氏は、奥邃には言及していないが、田中正造を、足尾銅山鉱毒事件で、銅山や行政側を支持する見解を披瀝した官学アカデミズムの学者らの「富国強兵学」を批判し「谷中学」を展開しようとした人物とみなし、いわば民間学の前史に位置付けていた。



 私には、新井奥邃の思想的営みも、民間学、厳密には民間神学の「連邦」に連なると思えるのだ。たとえば、「有神無我」という奥邃の典型的な思想だ。それは、「欲」
と「怒り」などの私我・自我を完全に放棄して、神を生の根基とする生き方を指し示す考え方だ。「神」というが、この発想は、神と人とを別々にたて、キリストの十字架の「贖罪」をもって和解させる正統派の、いわゆる有神論の神を避けている。それは、奥邃の「二而一」「一而二」という貴重な思想によって容易に分かる。奥邃にとって、神は父なる神でも母なる神でもなく、「母父神」として「二而一」「一而二」である。と同時に、彼の感受する「万有の神」は人と不可分・不可同という意味で「二而一」「一而二」だ。天地万物を支え・生かす宇宙の中の大きな力だ。この力に即して生き、実生活の中で愛の実践を行う者が「新人」と呼ばれる。これは、神を天地万有の存在根拠・源とする「万有在神論」(panentheism)といってよい。神秘主義的神理解であるが、神と天地万物とを同一視する「汎神論」(pantheism)ではない。



 そして、この思想は、「神ハ谷中ニあり」と洞察した晩年の田中正造に結実していく(『田中正造全集』一九巻)。田中正造は、確かに、谷中村の受苦の民と神との一体性を読み取っており、まさに「万有在神論」だ。ただ、人間の存在の深みを感受する奥邃が、人間を特定しないのに対し、正造の場合、苦難を受けている谷中の民と限定している。奥邃は、「クライストの志願奴隷」という思想を展開していくときに、その愛の実践を日常の生活の中で行うことを重視し、苦しむ者と共に苦しむことを勧めているのだが、その場合も、苦しむ者を具体的に特定していない。確かに「有神無我」は誰にでも妥当する。少数の選ばれた実践のエリートのためではない。しかし、林竹二が指摘していた、「無名の市井の人々」こそ奥邃の門下生であったことを想い起こしたい。私たちの力・業の行使は大切だが、深みからの促しを受けて可能となり、そして、その事実は、具体的な受苦の民において、よりよく感受されるということだ。この点、奥邃と正造とは、相互連関的な関わりの中で理解されることが肝要だということであろう。さもなければ、正造のあの卓見「神ハ谷中ニあり」には到達しなかったかもしれない。奥邃の思想も正造との〈つらなり〉において把握されるとき、一層その輝きを増してくるのではないか。



 いずれにせよ、このように、民間学の流れ・民間神学の流れで〈奥邃〉を捉えたいのだ。ただ、民間学の特徴、特に「文体」に関しては、奥邃の場合、漢文調であって妥当しない。もっとも、こうしたズレは、民間神学の草創期のため未分化の部分を残しているためであり、そのため、単体でなく、〈奥邃─正造〉の線で理解することの大切さの確認ともなるだろう。ともあれ〈奥邃〉あるいは〈奥邃―正造〉の民間神学思想は、エコロジー領域だけでなく、権力的諸階層への根本的な問いを突きつけ、その階層を崩し、対等・平等な社会的文化的な共生の場の形成に多大な示唆を与えるのではなかろうか。