新井奥邃を語る (月報より)



奥邃語録に初めてふれる

竹内敏晴 (演出家)

 この一二月一〇日は、田中正造の天皇直訴一〇〇周年にあたる。天皇の馬車にかけよって、渡良瀬川沿岸農民の鉱毒被害救済のため足尾銅山の鉱業停止を訴えた正造は、その場で射殺あるいは馬蹄にかけられて死ぬ覚悟だった。かれにとっては本来この日が命日であるはずだったことになる。



 わたしは今までに三度田中正造を劇化した。
 最初は一九六三年、宮本研作「明治の柩」。この準備中に「思想の科学」の田中正造特集号に林竹二先生が書かれた「抵抗の根」を読んで手紙を出したのが先生とのおつきあいの始まりであった。
 第二回目は林先生と共に神戸の湊川高校(定時制)へ授業に入り、年一回芝居を上演するようになって三年目、先生の正造を扱った授業を受けて秋に持って行った「田中正造と谷中村の人々」。これは「明治の柩」が官憲による谷中村の強制破壊で終ったのに対して、その後の残留村民と正造の共同の戦いを描いた。竹内筆。
 最後は、林先生の追悼公演として前作を書き改めた「日本の天地崩れたり」である。
 この第二、第三の上演の幕切れは、正造の遺体が農民たちに担がれて舞台を下り客席を通って去った後、一人残った島田宗三(役)が、新井奥邃の、正造を悼む文を読むシーンで終る。

「顧れば田翁と相識只十二、三年、然れども兄弟啻ならず……其精神に至りては誠に希有なり。……翁の深き心に於ては神の嬰児なり。」そして「翁は死して死せず、其死は却て再生の楷段なりしと感ぜらる。翁の如きは死するものに非ず。」

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「明治の柩」から一〇年以上が経っていた。わたしは林先生からいただいた島田宗三編『田中正造翁余録』を読み、木下尚江著『田中正造之生涯』を再読し、谷中村に入ってからの正造の日記を丹念に辿った。晩年に近づくほどに、神についての考察が文のあらかたを占めていることに気づいてわたしは驚いた。

「この時に当りては、断じて古きを捨てて、新鮮なる宗教を以てするの外、この国民を救出すべき道なし」

 木下尚江の伝える日誌の最後の行の後になお、実は「なにとてわれを……」とキリストの最後のことばが記されていた、と知った時に驚きは決定的になった。
 しかし、わたしには長く続く疑問が残った。かれの運動には木下尚江も然りだが、内村鑑三のような著名なキリスト者が多く協力し後援していた。にもかかわらず、正造が、かれらによってではなく、無名と言ってよい新井奥邃によってキリストに導かれたらしいのはなぜだろうか。
 正造は初めて奥邃の家に泊った日のことを、たしか「深山幽谷に寝ぬるの心地す」というように書いている。そしてかれは朝寝坊を叱られる。当時の巣鴨の有様は思い見るのが難しいが、雑木林と丘と畑の連りであったろう。奥邃はハリスの下で数十年農場の共同体に暮していた人である。農に根づいた静寂な息づかいが、正造の東奔西走の生活のリズムとおよそ異質の、ふかぶかとした安らぎをもたらしたに違いない。「我は下野の百姓なり」と自伝を書き始めたかれが、大本に帰るおもいがしたとしても不思議ではない。
 このたび初めて奥邃語録の頁をめくってゆくと、呆然とするような文言が次々と現れる。父母神とか、おそらく正造に大きく共感され影響を与えただろうと思われる「天」についての思想などについては、わたしは早急に感想を述べる資格はない。ただ一つ、あるいは、と胸を衝かれたことばを引く。

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  且人の当に勤動すべき所の者、日常卑近の実務を通じて広く神と人とを愛するに在り、
独り己が慾を去るのみならざる也。(一九〇七年一月)



 日常生活の実務において行うことこそ人間のつとめるべきこと、と言い切ることばに、奥邃の、知識人でなく、実践者たるの面目が現れているが、その実行の具体的方法を読んで目を瞠る。



  今其れ人を愛するに於て一法有り。人工の法に非ず。姑らく之を循環黙愛と謂はむ。
何ぞや。譬えば此に友十人ありとせん。我れ静黙以て日に其一人を胸裏に特愛し、十日
にして全部に及ぶ。終りて復た始まる。循環して已まず。諸友各々亦此の如くす。此れ
集団を神愛するの一法也。(一九〇四年「信感第二」)(後一九〇七年一月の「語録」に同
じ趣旨の文がある)



 たちまち思い起されて来るのは、田中正造が、水没させられた谷中村に踏み止まった一九戸に次々と泊りこんでは人々の胸中を聞き、日々記し留めて自らの学びとした、林竹二言うところの「九年の苦学」である。かれはそれによって謂わば生れ変わる。この行いは、あるいは奥邃のこの文に導かれたのではあるまいか。少くとも、このことばに呼応する、全身全霊を挙げての行いがここにある。
 そして、翁の深き心は神の赤児だ、と感嘆する奥邃。最後の上演から一五年、今新らしくわたしは、二人の大いなる人の底深い流れあいをかいま見る思いに打たれる。