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「風のモナドロジー」へ―
京都学派の哲学を媒介に賢治文学を「思想」として読み替える。詩作と思索の出会いによって、アニミズムを超えた「存在詩」が立ち現れる稀有の瞬間を記す新論考「賢治の霊性文学」を加えた増補決定版。
---目次----------
序論
大地の文学・大地の思想
―私の宮沢賢治論
第一部 大地の詩
イーハトーヴ・詩と哲学の根源
啄木と賢治の軌跡
『遠野物語』考
東北の風土と高村光太郎
第二部 日本的霊性とキリスト教
鈴木大拙と日本的霊性
ドストエフスキーとニーチェ
―精神の逆対応
日本の神学を求めて
―大地の思想家たちとの出会い
第三部 現代日本における
キリスト教の問題
吉満義彦と遠藤周作をめぐって
出会いの世紀へ―仏教とキリスト教
補遺 新世紀の風
賢治の霊性文学


小野寺功(おのでら・いさお)
1929年岩手県に生まれる。上智大学大学院哲学研究科修了。
清泉女子大学名誉教授。
【主な著書】
『大地の哲学』(三一書房、1983年)
『大地の神学―聖霊論』(行路社、1992年)
『絶対無と神―京都学派の哲学』(春風社、2002年)
『聖霊の神学』(春風社、2003年)
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ぼくにとって哲学の第一義は「明晰」である。哲学とは炭鉱を掘り進むようなものだ。硬い岩盤を砕き、光を差し入れ、形なきものを白日のもとにさらす。明晰を尊ぶフランス哲学に強い憧憬を憶える。
しかし明晰だけでは面白くない。岩盤が打たれる瞬間、ハンマーと岩が立てる火花、鉄と岩との接触面、これが思考の現場である。ニーチェや後期ハイデガーなどドイツの哲学者がスリリングなのは、闇の深さと、闇を引き裂くその手つきゆえだ。
さて本書『大地の文学』は、コールタールみたいなどろどろの暗闇に満ちている。どろどろとどう闘うか。闇をうがつ炭鉱夫の仕事ぶり、堪能してください! (内藤)


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