

日本の学校にさようなら。
インドが僕の学校だった。
コミュニケーションの秘密にふれる
スリリングな対談集。
そこここのコミュニケーションを
おもしろく。
若き芸術家が、映画監督、詩人、ミュージシャン、農夫、教師、作家など10人の気になる人たちと「生きる」について、まじめにおかしく語り合う。
●谷川俊太郎氏、絶賛。
字を読んでいるんだけど、
顔が見える、声が聞こえる、
体温を感じる、
自分もその場にいるみたい。
こんな生き生きした言葉、
久しぶりだ。


●矢萩多聞ホームページ「Bharatic」
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●「インド・まるごと多聞典」公式サイト
本の紹介、立ち読みコーナーなどなど。


●『Link Club News Letter』
(2003年6月号)
多聞くんが受けたインタビュー記事です。インドとは、絵を描くこととは―本書にも通じる内容になっています。ぜひお読みください。
→インタビュー記事を読む
●神奈川新聞
日本の学校が肌に合わず、日本を離れ、インドで画才を開花させた二十一歳の画家が、イラストリポーター、ミュージシャン、映画監督、古布アーティスト、詩人、農業従事夫妻、担任だった小学校教師ら十人と真剣に生きることについて語り合った対談集である。
のんびりと時間が流れるインドに比べると、みんながせかせか激しく働いている今の日本は心地よくない、日本では暮らせない、だが、日本を愛しているので、本当は日本で暮らしたい。そのためのヒントがインドにあるのではないか?
一番の興味はコミュニケーションという著者が、一方の生活の場であるインドのことに触れながら対談を通して、「自分探し、日本探し」を模索、「日本で生きていくこと」に思いを巡らす。
ユニークなオリジナル画三十一枚を添えた四百四十六ページの分厚い本からは、他人とは違う「自分らしい生き方」を貫いて生きている人たちの本音が聞こえてきて、教えられることが多い。
著者は一九九〇年から毎年インド、ネパールを旅行。九五年インスピレーションを得て、ペンによる細密画を描き始めた。横浜、銀座などで個展を開催。現在、南インド・バンガロールと横浜に暮らす。
●赤旗インタビュー (2002年4月29日号)
二十一歳の若手芸術家。自ら手掛けた装丁の表紙は、インド絵画を思わせる自作の細密画です。カメレオンやゾウが顔をのぞかせ、不思議な雰囲気を醸しだします。
中一の時、答えの決まった勉強に疑問を持ち不登校となり、翌年、両親とインドへ。「インドが僕の学校。多くのことを学びました」。そのころから絵画制作でインド的意匠を凝らした独自の世界を展開してきました。
ただ隣に座ったというだけで、見ず知らずの人がお茶をおごってくれたり、映画を見に行くのに何時間もバスに乗り丸一日つぶしたりするインドの人たち。時間の流れや感覚の違いに戸惑いつつも、「枠をつくらず、誰でも受け入れる大らかさ」にひかれています。「自分を紹介する本を」といわれてつくった本書は対談集です。「人との会話のなかの方が、僕が見えてくると思ったんです」
相手は、映画監督、ミュージシャン、詩人、小学校のころの恩師など"十人の気になる人"。
マニアックなインド映画の話から"生きること"まで対談のテーマは尽きません。一番の興味は人と人とのコミュニケーション。
「大切なのは相手に感動を伝えることだと思います。うれしさや楽しさの元気が人を媒介にして広がって、それが巡りめぐって僕に返ってくる。循環のイメージですね」
そんなコミュニケーションが豊富な国、インドの魅力を伝えます。
「僕がインドでもらってきた元気を、どうやったらほかの人に渡せるかなと考えてこの本を作りました。その思いが伝わればいいですね」
●週刊金曜日 (2002年4月5日号)
インド在住の21歳の日本人画家が詩人、農民などさまざまな人々と「日本で生きていくこと」について語り合った対談集。
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