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仙台のハンサム外科医、里見浩太郎!瀬上先生初の書。本のおかげか、とみに患者さんが増えたとか。(三) ●新井奥邃図書館 新井奥邃について知りたければこちらへ ●りらくインタビュー (2002年3月号) ●週刊読書人 (2001/7/13) 副題に出てくる三人のうち、森有礼と田中正造はよく知られているが、新井奥邃を知る人は少ないだろう。新井奥邃は、一八四六年に仙台で生まれた。一八七一年、森有礼とともにアメリカに渡り、スウェーデンボルグ主義の教団で三〇年近くを過ごす。帰国後は東京で私塾を開き、従来のキリスト教の枠にはまらない普遍的キリスト教について思索を深めた。彼の思想の影響を受けた一人に、足尾銅山鉱毒事件で奮闘した田中正造がいる。また奥邃をアメリカへ誘った森有礼も、スウェーデンボルグ神学に従って生きた信仰者であったことが最近になって指摘されている。本書は、三人の宗教的側面について検証し、日本キリスト教史が見落してきた大きな伏流の存在を明らかにしている。 ●週刊金曜日 (2001/6/1) 新井奥邃から田中正造、森有礼へと受け継がれたスウェーデンボルグ神学が、明治期日本の思想形成に与えた影響を検証する。 ●河北新報朝刊 (2001/6/4) 仙台出身の思想家、新井奥邃(1846〜1922)は19世紀後半にアメリカへ渡り、スウェーデンボルグ神学と呼ばれるキリスト教の神学を学んだ。奥邃及び彼と親交のあった森有礼、田中正造の思想には、この神学の影響があったという。仙台市の医師で、思想研究家の瀬上正仁さんが、三人を対象に明治期のキリスト教史を検証した「明治のスウェーデンボルグ」を出版した。 新井奥邃は幕末の仙台藩士の家に生まれた。藩校「養賢堂」で孔孟思想や朱子学を学び、早くから秀才として頭角を現し、戊辰戦争では徹底抗戦を主張。仙台藩降伏後は函館に行き榎本武明らと行動した。ここで、ロシア正教のニコライ神父と出会った事が、思想家としての転機となった。 維新後、東京で後に初代文部大臣となる森有礼と親しくなり一緒に渡米。トーマス・ハリスというカリスマ的指導者に率いられたスウェーデンボルグ主義の教団で28年過ごす。帰国後、従来の教会中心のキリスト教とは違う「新しいキリストの道」を追及した。 森、田中らとの数奇な出会いと生涯を追跡しながら、明治期の日本の思想形成を分析。孔子や仏教に共通する「不変の真理」を求めることは、スウェーデンボルグの宗教意識とも合致すると指摘する。刊行中の「新井奥邃著作集」(工藤正三、コール・ダニエル共編)と併せて、奥邃研究の貴重な一冊となろう。 ●月刊たまゆら (2001年5月号) 仙台が生んだ明治の知られざる思想家、新井奥邃。彼を渡米させ、キリスト教を学ばせた初代文部大臣、森有礼。反骨の人、田中正造。これら三人を調べていくと、彼らの中にはスウェーデンボルグ神学に源を発する普遍的なキリスト教思想が脈々と受け継がれており、それが明治期の日本の思想形成に無視できない影響を与えていたことがわかります。その事実を、スウェーデンボルグ神学の立場から詳しく検証していきます。 日月神示をも含めた神道的信仰感をベースにスウェーデンボルグ神学に取りくむ瀬上さんの研究はまさに称賛に値するもので、多忙な日常の中(本業は整形外科医)でのたゆまぬ努力には頭が下がります。ぜひ一読いただきたい秀作です。 |
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