・安原さんと話すのは楽しかった
 (村上龍)

・ずっと変わらないすてきな人でした
 (よしもとばなな)

・天才ヤスケン最期の檄文ここにあり
 (田中康夫)


表現行為とは時に、それに触れるや発狂するやもしれぬ猛毒であり、人生、生存とは他者を犠牲にし、時には他者を殺すことでもある(本文より)

表層的な癒しや安っぽい感傷に満ちた小説などいらぬ! 天才ヤスケンが、人を狂わせるパワーを秘めた真の傑作を求め大作家たちの旧著を再読。


登場する作品:
村上龍 『コインロッカー・ベイビーズ』
村上春樹 『1973年のピンボール』
武田泰淳 『富士』
吉行淳之介 『暗室』
宇野千代 『おはん』
中上健次 『蛇淫』
小沼丹 『椋鳥日記』ほか。


日本図書館協会選定図書


付録:「ヤスケン応援メッセージ集」

闘病中のヤスケンさんへ送られた「応援メッセージ」

「ヤスケン、病魔に負けず頑張ってくれ! 君がいてくれるだけで世界は元気づく。阿修羅のように書きまくってほしい。」 (木田元)

「からだは病んでいても、こころは健康そのものですね。全身全霊をあげて読み、書き、褒め、けなし、笑い、怒るヤスケン、その情熱に死はすでに敗北してます。」
(谷川俊太郎)

「ぼくはヤスケンに見出された小説家で、そのことを誇りにしているのだ。この国の文芸評論家が束になっても発見できなかった逸材を、君は一体どれだけ見出したことか!」(飯島耕一)

「安原顯が現れると、その一角が燃えあがる。愛の火で書物と音楽の喜びを白熱させ、怒りの炎で腐った日本を焼きはらう。そのミラクルに触れえたことの幸福と畏怖にふるえる。」(中条省平)

「なんだかんだといっても、安原顯の審美眼は一流で狂いがない。これだけは絶対に言える。日本の出版界の堕落はヤスケンに金を出す人間がいなくなったときから始まっている。」(鹿島茂)


…ほか計48名。



安原顯(やすはら・あきら)
1939年、東京生まれ。早稲田大学仏文科中退。『パイディア』『海』『マリ・クレール』『リテレール』などの副編集長、編集長を経て、97年フリーに。2000年よりオンライン書店bk1「文芸サイト」編集長。また、CS衛星ラジオPCM放送で「ヤスケンのギンギン・ニューディスク」のDJをつとめていたが、2002年10月、bk1の「編集長日記」で、肺がんで余命1か月と宣告されたことを公表。入院を拒否し自宅にて精力的に執筆活動を続けたが、2003年1月20逝去。


『ハラに染みるぜ!天才ジャズ本』


 

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安原顯

2003年3月

ISBN
4921146675

定価
(1800円+税)

四六判
336頁



 1月8日の電話。 「もうムリだから、あとのことはよろしく頼むよ」
 翌日、あとがきのテープが送られ、10日後、安原さんは眠るように息を引きとられました。
 誇張なしに、命を削って書かれた「ヤスケン最期の檄文」。ぜひ読んでください。絶対感動します。(内)




東京新聞

「1950年代の日本文学『猛毒』の魅力に誘う」

(2003.5.4)

 本書は、去る1月20日になくなった安原顯の現代日本文学論である。幻冬舎のPR誌「星星峡(せいせいきょう)」に連載された日本文学の「名作50選」をまとめたものであるが、けっして「名作案内」のたぐいではない。本書の特徴は著者が若いときに読んだ作品を読み直し、それに編集者としての作家とのふれあいの記録を織りまぜて書かれているところにある。

 著者が1950年代に接したのは、深沢七郎、開高健、大江健三郎、藤枝静男、埴谷雄高(ゆたか)、石川淳といったひとたちの作品であった。そして著者は、「こうした作品群を見ていると、わずか四十数年で日本文学は完璧壊滅したことがよくわかる」と書いている。1950年代の日本の文学を再読し、再検討すると、1990年代からの日本文学の「壊滅」の状況がよくわかるというのである。

 つまり本書は、名作の解説というかたちを取りながら、実は同時代の文学に対する徹底的な批判になっている。

 また本書では、著者独自の文学論が根底に存在している。たとえば坂口安吾の文学に関して著者は、「表現行為とは時に、それに触れるや発狂するやもしれぬ猛毒」にほかならないとする。著者が高く評価する藤枝静男、島尾敏雄、安岡章太郎などの作品には、そうした「猛毒」が含まれている。

 本書を読むと、著者が類のないほどの小説好きであることがわかる。そしてその作品に徹底的にのめり込んでしまう。島尾敏雄の作品を読んで、「日本にもこんな凄い作家がいたのかと仰天」し、梅崎春生の『桜島』を読んで「しびれ」てしまうのである。

 読者は、著者が高く評価する作品をすぐに読みたくなるに違いない。すぐれた書評とは、読者を書店に急がせる力を持っている書評である。著者が澁澤龍彦について書いたことばを借りるならば、安原顯は「六三歳で逝ってしまった。その死は何とも惜しまれてならない」。

宇波彰(札幌大学教授・フランス思想)

 

『Grazia』

culture windows-book

(2003.6月号)

 文学にかぎらず、ゴミ本やクズ本が世の中に出回る。しかも中にはナントカ賞を与えられるものもある。それで読者は騙されてしまう。かくて日本国はぐんぐん馬鹿ばかりになっていく。そんなふうに嘆かざるをえない現状が確かにある。それを本気で憂えて読みまくり、かつまた書きまくったのが、安原顯氏だった。ゴミ、クズ、馬鹿は安原節の基本語彙である。『乱読すれど乱心せず』の安原節に初めて接する読者は、その毒舌ぶりに驚くかもしれない。これはあたりさわりのない読書案内ではなく、激烈な、有毒の読書案内である。…(中略)…安原氏は言いたいことを言う。命を掛けて言う。何のために? 馬鹿読者を一人でも目覚めさせようとするからだ。馬鹿国民の一人でもまともな本を読むことに目覚めてほしいと願うからだ。余命一ヵ月を宣言された著者に寄せられた48篇の「ヤスケン応援メッセージ」が折込みで入っている。詩人・荒川洋治は記す。≪日本から書物が消えても安原顯は書く人だ、たたかう人だ。≫だから読者は否応なしにひっぱり込まれる。

 川崎長太郎の文体について、≪どこか野坂照如にも通じる独特のリズムが心地良い≫と書く。そのまま安原節の文体を言当てているようだ。また毒舌の痛快さの源は、決してシニカルな視点ではない。≪大江健三郎の短編小説「死者の奢り」を四二年ぶり(!)に再読し、感動した。≫なんという素直な書き方。生前の澄んだ目を思い出す。

柳瀬尚紀(英文学者)

 

北海道新聞「読む」

毒気と優しさ残して逝った

天才ヤスケン

(2003.4.27)

 安原顯氏が逝った。スーパー・エディターとか天才ヤスケンとかいう愛称で親しまれた人である。編集者として読みまくった人である。編集者を辞めてからも読みまくり、かつ書きまくった。褒めるとなると、とことん褒めた。敵もすくなくなかったろう。けなすとなると、こてんこてんにやっつけた。余命一カ月と宣言されたことをホームページで公表してからも、なお精力的に執筆を続けた。その覚悟で本書のあとがきを記した。そして本書を見ることなく逝った。

 本書には四十八篇の「ヤスケン応援メッセージ」が折り込みで入っている。谷川俊太郎氏はこう記す。≪からだは病んでいても、こころは健康そのものですね。全身全霊をあげて読み、書き、褒め、けなし、笑い、怒るヤスケン、その情熱に死はすでに敗北してます。 「乱読すれど乱心せず」―この人にふさわしいタイトルの本書は、まさしく情熱的に生きている。安原節が躍動するのだ。

 安原節に初めて接する読者は、その毒気になじめないかもしれない。≪クズ日本政府≫に対して≪馬鹿国民、馬鹿マスコミは怒りもせず、ワイドショウを垂れ流し、馬鹿国民はそれを見てへらへらと日々を送っている。≫これくらいならまだしも、≪関西の某大学に(非常勤講師として)行って呆れた≫学生たちを白痴と呼ぶ。≪ここまで白痴化させた父兄と学校の責任は重いが、この白痴化、今後促進されることはあっても改善されることはあり得ないと思うと、実に末恐ろしい気がする。≫

 あるいはまた純文学の大家と信じられてきた作家をもこきおろす。川端康成の「眠れる美女」は≪有閑爺の妄想小説≫であり、安部公房は≪駄作の山≫を作り、≪程度の低いソ連、東欧≫で評価され、≪権威だけは上昇、馬鹿編集者にホイホイされて≫、≪絵に描いたような「裸の王様」≫と化した≪通俗作家≫にすぎず、≪庄野(潤三)は「日録」を小説と騙って「庄野家の私事」を延々と文芸誌に連載中≫といった具合だ。

 しかし「乱心せず」である。うなずける理由をきちんと示す。あるいはまた三島由紀夫を≪噴飯もののナショナリストに堕し≫たと談じながらも、三島長篇の中であまり知られていない「美しい星」を熱っぽく紹介する。要するに、いい悪いを忌憚なく言う。そのことに徹しているのだ。文庫本で入手可能なものだけを扱っているが、それにしても恐ろしく「乱読す」である。坂口安吾から吉本ばななまで、四十六人の全作品をことごとく読んでいることに驚く。

 さきにふれた「ヤスケン応援メッセージ」に、加藤郁乎氏の名句がある。

 ≪秋ともし安原顯の海を繰る≫

 海とは安原氏が編集人だった文芸誌「海」であり、安原氏の乱読の海でもあろう。

柳瀬尚紀(英文学者)

 

マリ・クレール

(2003.6月号)

 安原顯の死後出版された最後の著作。現代を代表する作家46人の名作を取り上げた書評集。「表現行為とは、時にそれに触れるや発狂するやもしれぬ猛毒であり…」という言葉に、人を狂わすほどの傑作を求め続けた著者の熱い思いが伝わる。余命一ヵ月宣言を受けた当時の安原への手紙―48人の仲間たちからの応援メッセージもついている。

 

活字倶楽部

(2003春号)

 昨年の十月、ヤスケン(面識はなかったけれどやはりこう呼びたい)が編集長を務めていたbk1の「編集長日記」に衝撃的な発言が掲載された。ヤスケンは末期の癌で余命一ヵ月だというのだ。しかし、それからの日々がもっと凄かった。体調の許す限り、これまでと同じように本を読み、音楽を聴き、くだらない作品には本気で怒りつづけた。本書はそんなヤスケンがぎりぎりまで続けた連載をまとめたものである。

 ヤスケンは作品を論じるにあたって、作家の個人情報にも踏み込んでいく。編集者として付き合いのあった作家も少なくないから、興味深いエピソードも多数ある。最近の評論では敬遠されがちなことであるが、そんなことはおかまいなしだ。自分がその作家や作品とどう付き合ってきたのか、それを語らずして自らの立場を明らかにできるわけがないということなのだろう。だからヤスケンの言葉はいつも明解で、手厳しいことを書いていてもどこまでも爽快なのである。

 ヤスケンの厳しさは優しさと表裏一体のものだ。言葉の根底に確かな優しさがあったからこそ、多くの人から愛されたのだろう。それは折り込み付録に収録された多くの作家からの応援メッセージが物語っている。

 

日本教育新聞「新刊案内」

(2003.4.18)

 「海」「マリ・クレール」などの編集長を務め、吉本ばなな氏など多くの作家を発掘した編集者・安原顯氏が「旧著再読」をモットーに、今までに出された文庫のうち名作を選び紹介。若者が過去の作品に興味を持てるよう、エピソードや作家の略歴も網羅している。著者が今年一月に急逝したため、実際には四十六冊の紹介だが、坂口安吾から村上春樹まで、時折酷評も交えつつ、独特の切り口で評している。

 

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