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西田幾多郎・鈴木大拙・西谷啓治―石川県が生んだ三人の世界的思想家・哲学者がいかに独自の思想を形成していったのかに迫る、著者渾身の書。
肉親の死をいかに自己の生の根本に据えていったのか、偉大な先達の思想形成<悲しみの仕事>が本書で説かれている。
(推薦・序文/聖路加国際病院理事長・日野原重明)
第一章 西田幾多郎
悲哀の端緒
我が子の死
西田の死生観の展開
後半生―悲哀と思索―
第二章 鈴木大拙
生い立ちと旅立ち―加賀、能登で―
世界の前者への歩みと実践
友人の死と禅思想の形成
最晩年
第三章 西谷啓治
西谷の課題―師と弟子―
生い立ち
西田幾多郎との出会いと思想展開
ニヒリズムという現実
日本の伝統文化と空
終章 田辺元における死の理解
日本図書館協会選定図書


浅見洋(あさみ・ひろし)
1951年石川県生まれ。金沢大学大学院文学研究科(哲学専攻)修了。文学博士。現在、石川県立看護大学教授。
著書に『未完の女性哲学者高橋ふみ』『西田幾多郎とキリスト教の対話』『高橋文のフライブルク通信』ほか。
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鈴木大拙の死を看取った日野原重明氏から序文と推薦文をお寄せいただきました。
鈴木大拙の最期にあたり、日野原先生が「だれか呼びましょうか」と訊いたのに対して、「いや、わたしはひとりでいいんだ」と言って、大拙は静かに息を引き取ったそうです。
哲学者の最期はこんなにも静謐なものかと感心してしまいますが、本書はそこに至るまでの謎に迫ります。(内)


「看護実践の科学」
(2004/VOL.29 No.5)
石川県が生んだ世界的思想家・哲学者である西田幾太郎・鈴木大拙・西谷啓治の三人がいかに独自の思想を形成していったかを丹念にたどり、その根底に肉親の死という深い悲しみがあったことを明らかにした評論集である。
西田の純粋経験論の背後には「わが子の死」の体験、大拙の禅思想への旅立ちは両親の死、西谷の考察の出発点には父親の死があったとし、二人称の死に立ち合い、そこで自覚的に深められた痕跡があるとする。
二人称の死(人生を共有してきた愛する者の死)、それは一人称の死(自分の死)や三人称の死(他人の死、医療現場における患者の死をも含む)とは明らかに異なり、残された者に大きな〈喪失感〉と〈悲嘆〉が伴う。それゆえ、二人称の死においては、死に遭遇した者の喪失感と悲嘆の〈癒し〉が問題となる。柳田邦男は、現代医療や生命倫理の問題を考察する場合の新たな視点として〈二人称の死〉という言葉を提唱している。
三人の思想家が、身近な肉親の死をいかに自己の生の根本に据えていったのか、偉大な先達の思想形成〈悲しみの仕事〉が説かれている。
絶えず臨床の場で「死」と直面している看護職にとって多くの示唆が得られるだろう。また三人の生い立ちと思想の系譜が微妙にからみ、哲学への入門書としてもすぐれている。
神奈川新聞
(2003.11.02)
二人称の死とは、伴侶や親子など身近な親しい人の死のこと。本書はその二人称の死が日本を代表する三人の思想家、哲学者(西田幾多郎、鈴木大拙、西谷啓治)に及ぼした影響をテーマにしている。西田と鈴木は晩年神奈川県で過ごしたが、三人はともに石川県出身。
西田と鈴木は同じ1870(明治3)年生まれ。中学、高校では同級で、生涯にわたって交流があり、西谷は二人の最も忠実な教え子である。
「人生は悲哀である」という西田の人生観や思想形成には、13歳で姉を失ったことを皮切りに、両親のほか3人の姉弟と5人の子供と死別したことが影響している。とりわけ、相次いだ幼い二人の娘の死は、彼をヒューマン的な思想家に変ぼうさせた。
6歳で父と死別した鈴木は翌年、次兄を失う。宗教に救いを求める母親の影響で禅に近づき、親鸞にも学び、宗教の本質に迫る。ニヒリズムの超克を追求した西谷は、14歳で父親を失う。青年期、父と同じ病にかかり、生への自信を喪失した時に西田の著作に出会い、哲学の道を選んだ。
著者(石川県立看護大学教授)が検証する肉親の死と思想形成の関係はドラマチックでもある。
『在家仏教』
(2003年9月号)
西田幾多郎、鈴木大拙、西谷啓治。偉大な思想家の創造の背景には「二人称(=近親者)の死」があった。三氏が残した厖大な著作の中でも、特に追悼文や回想に注目。精緻な分析の先に、悲嘆を乗り越えた哲人たちの深い思索が立ち現れる。
北国新聞
(2003.7.27朝刊)
読了後、宮沢賢治『永訣の朝』、斉藤茂吉『死にたまふ母』、高村光太郎『レモン哀歌』を久しぶりに読み返した。それらは、まさに妹・母・妻という「人生を共有してきた愛する者の死」つまり<二人称の死>によって生まれたものであった。
<二人称の死>とは、メディアで日々報じられながらも、やがて忘れられていく他人(三人称)の死ではない。声をかけ、名を呼んでいた、かけがえのない者の死、忘れられない者の死である。
本書がとりあげる西田幾多郎・鈴木大拙・西谷啓治は、石川という風土に根ざしながら、今まさに世界的評価を得ている哲学者・仏教者・宗教哲学者である。意外にも彼らは、肉親や親友の死に対する悲嘆を驚くほど素直に語り、その喪失感を決して忘れようとはしない。
娘を亡くした西田にとって、理屈では「死ぬるは人生の常」であるとわかっていても、やはり「悲しいことは悲しい」。親が子の死を忘れることは「不人情」であって、「親がわが子の死を苦しみ悲しむことが、親の唯一してやれること」なのである。世界の禅者・大拙も、二人称の死を達観しているわけではない。友の死を前にして、絶句し、嗚咽し、落胆する姿がそこにはある。
彼らは、そうした耐え難く悲惨な現実を捨て去ることなく受けとめ、言葉では語れないその思いをその性(さが)ゆえに言語化していく。言葉にするという<悲しみの仕事>は、悲しみをなくすためではない。詩人が詩をつくるように、言語化という作業を通すことで、二人称の死が深い悲嘆の中で受け容れられていく。
西田の娘や大拙の友の死は、他人から見れば、平凡な死なのであろう。ただそれらは、心から嘆き悲しんで受容するものがいる死であった。受容者が詩人であれば詩を生み、哲学者であればその思索を深める死である。いや、二人称の死は、受容者がその死を語らずとも、その悲しみとともに<諦める>ことができれば、永遠の生となるのである。
本書は、北陸に生きる者、やがては死すべき者、そして大切な二人称の死を必ずむかえる者にとって、必読の書である。
大熊玄(石川県西田幾多郎記念哲学館専門員)
朝日新聞(石川県版・朝刊)
(2003.6.20)
西田幾多郎、鈴木大拙、西谷啓治 ……。石川出身で国際的にも評価の高い思想家3人は、死をめぐってどんな思索をめぐらせたのか。それぞれが残した追悼文や手紙、短歌などを分析した『二人称の死』(春風社刊)を県立看護大の浅見洋教授が出版した。「現代では、マスメディアで人の死があふれる一方、リアルに死を感じる場面が少ない。近親者の死に直面しながら思想を形成した3人を通して、人生の意味や死について考えたかった」と浅見教授は話す。
浅見教授は、3人の思想的背景を加賀、能登の風土から説き起こす。
「加賀、能登には暗く、雪に閉ざされた冬がある。そこで培われた思想は悲しみや痛みなど、人生の暗い部分に向かう。特に西田は人生の悲哀から哲学が始まると考えていました」
「二人称の死」 とは、かけがえのない肉親、友人などの死だ。著書では3人が家族などの死に際して残した追悼文や歌を詳細に分析している。通常の学術書に比べると異色なやり方だ。
「3人はそれぞれが直面した『二人称の死』から、思索を深めていった。死をきっかけにしてこそ、生きていることの意味や自分の存在のありようを考えるようになる」。浅見教授自身、01年4月に母親を亡くしたことが、今回の研究と執筆のきっかけとなった。
5月からは、「地域における高齢者の死生観」のテーマで毎月1回の公開研究会を開いている。多くの人が自宅で死を迎えたいと望みながら、実際は8割以上の人が病院で亡くなるなど、終末医療の現実と人々の死生観がかけ離れているとの考えからだ。
日常から離れた死を論じることに意味はないと浅見教授は強調する。
「3人以外にも石川ゆかりの思想家は多い。今、彼らについて死を切り口に見直すことを構想しています」
Home Care MEDICINE
「編集部推薦!この一冊」
(2003.6月号)
三人の思想家たちから学ぶもの
著者は石川県立看護大学教授。石川県が生んだ世界的思想家・哲学者である西田幾多郎・鈴木大拙・西谷啓治が、いかにして独自の思想を形成していったかを丹念にたどり、その根底に肉親の死という深い悲しみがあったことを明らかにしていく。現代の日本では、死はタブー視され、死を直視することが非常に少なくなっている。その結果、死生観の空洞化が起こり、一度限りのかけ替えのない生をもてあそび台無しにするような浅薄な人生観が流布しているのではないか、と指摘する。
鈴木大拙の死を看取った、日野原重明氏が序文を寄せている。
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