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<教育に携わる
すべての人の必読書!>
ますます不気味に広がる
「いい子」の非行。
三年前、非行臨床の立場から
この問題に初めて光をあてた著者が、
最新の事例と親との対話を
盛り込み、再提言する。
●目次●
T おれはできる
U ぼくのなかにいたぼくが怒った
V よい子の息切れ
W 別にだれでもよかった
X 正選手になれなければ意味がない
Y ぼくは普通の少年と違う
Z ワクワクする「おやじ狩り」
[ 将来は専門職に就きたい
\ 留学を夢見て
] 深夜の単独暴走
増補事例1 もう疲れた
増補事例2 見逃されるサイン
あらためて問う
遊びや自然体験の大切さ
まとめと提言
補遺


佐々木光郎(ささき・みつろう)
1946年秋田県生まれ。1973年東北大学大学院教育学研究科修士過程修了。1991年最高裁家庭裁判所調査官研修所教官、1997年文部省第16期中教審専門委員。現在、日本生活指導学会理事、秋田大学教育文化学部非常勤講師(生徒指導)を兼ねる。著書に『いい子の非行』(春風社刊)、『戦前、感化・教護実践史』(共著、春風社刊)等がある。
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「高校へ入ったらそれでおしまい。目的などありません。」「○○君はボランティア活動をしていた「いい子」なんです。」「両親のアレが違うんです。アレですか? 人間としての扱いですよ。」本書に登場する子どもたちのことばだ。あきらめと倦怠とふてぶてしさと投げやりと怯え。いまの子どもが置かれている現状の複雑さは計り知れない。また、もとより子育ては難しい。楽しいことばかりとはかぎらない。親も子も、胸くそ悪くなる日もあろう。ことばが宙に浮いてふわふわ、さ迷う。相手にとどかない。どうしたら、地に着いた、からだから発することばになり得るのか。ゆたかなコミュニケーションの場を取り戻すことができるのか。非行臨床に携わる著者に明かされた非行少年のことばに、解決のヒントが隠されているかもしれない。
本書は、非行問題の解決にじっくりと取り組もうとする親や教師や教育関係者のために、初版刊行後に起きた事例をくわえ、さらに親との座談会の模様も採録した。
(三)


「河北新報」―東北の本棚
(2004.04.19)
素直でまじめな、いわゆる「いい子」による犯罪が目立っている。彼らはなぜ非行に走ったのか。東京家裁総括主任家裁調査官の佐々木光郎さんは『増補「いい子」の非行 家裁の非行臨床から』で、事例を追いかけながら問題の文化的、教育的課題を探っている。
「おやじ狩り」に心躍らせる男子高校生、留学を夢見る女子高生の大麻乱用―彼ら、彼女らはいずれも教育熱心な家庭に育った。幼少期から塾やスポーツクラブに通い、気の合った友達と遊ぶ体験に乏しい。思春期からは「立派な成績をとる」が第一で、周りの大人の評価を行動の基準にするという共通点があった。
著者は、こうした子どもたちの非行行動を「いい子」ではない自分づくりの試みであると考え、彼らに「あるがままの自分を話して」と促し、新しい自分をつくり出すきっかけにしてほしいと訴える。一方、親に対しても「いい親」に固執せず、肩の力を抜いて子どもたちとかかわるようにと求めている。
著者は日本生活指導学会理事、昨年三月まで秋田大教育文化学部非常勤講師を務めた。
『日本教育新聞書評』
(2004.02.13)
「素直な子ども」「勉強やスポーツで頑張っている」と評する中・高生たちを「いい子」と著者は評してきた。家庭裁判所の非行臨床(調査)体験を一冊にした初版は三年前である。この間、こうした子どもたちの非行は減らず、「新たな広がりさえ呈し、今日の子育てや学校教育のあり方について、その本質を投げかけている」と著者は指摘する。
初版本で、「いい子」について、分類を試みている。かつて、あるいは最近まで「いい子」であったというタイプで、これには息切れタイプや離脱・空洞タイプがある。もう一つは今も「いい子」タイプであり、これには非行によっていやすタイプや、非行によって自己確認するタイプなどがある。これに類する十人の事例を取り上げた。
増補版では中学生の時にボランティア活動で活躍していた高校生、サッカーが得意で成績の優秀な中学生を取り上げた事例を加えた。少年事件を通し、克服するためには家族全体が本来の健康さを取り戻すことや、他者と交わる力を付けることの重要性が分かる。いい成績だけで子どもを見ないことも大きな教訓だ。
「あらためての提言」では、親も子どもに「だめな自分」をさらすことや、親自身が生き生きと生きること、わが子であっても間違えながら成長する存在であること、子どもに触れてほしくないことがあること――などを指摘。子どもの問題はそのまま家族、家庭の問題であることを示している。
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