学び住むものとしての人間

「故郷喪失」と「学び」のニヒリズムを超えて

  • 吉村文男/2006年6月
  • 2800円(本体)/四六判上製・252頁
  • 装丁:矢萩多聞

あてどなくさ迷い、虚無を浮遊する現代人。危機にある日常の営みを哲学的に考察する。東西思想を駆使し、人間中心主義の陥穽に挑む。
日本図書館協会選定図書
(ISBN486110078X)

目次|indexs

第一章 問題としての「学び」
一.人類に普遍的な営みである「学び」
二.近代学校と「学び」―「学校化社会」と「学び」
三.現代における「学び」の危機
四.人間が人間自身にとって問題化している
五.学校教育から解放した「学び」
六.「学び」の包括的な意味
第二章 人間存在と文化―哲学的人間学から
一.場所的存在としての人間
二.人間の本質としての世界開放性
三.文化世界に於いてある文化存在としての人間
第三章 意味世界と学ぶこと
一.「シンボル的宇宙」と「シンボル的動物」
二.人間がそこに於いてある場所としての「意味世界」
三.すでに解釈されている意味世界
四.言葉と意味世界
五.意味世界と近代人
六.意味の理解
七.学ぶということ
第四章 人間存在と住むこと―住むことと「学び」
一.人間存在と住むこと
二.住むこと―特にボルノーを手がかりとして
三.住むことと学ぶこと
四.住むことと「存在への信頼」
第五章 故郷を喪失した人間と「学び」
一.「聖なる場所」としての家
二.「住む機械」としての家
三.神話と科学
四.ニヒリズム
五.虚無を自覚的に引き受けること
六.「聖なる時間」と「俗なる時間」
七.近代における「世界喪失」と労働の優位
八.住むことの喪失と「学び」のニヒリズム
第六章 住んでいることから–住むことへの「学び」
一.伝統的社会における「学び」と住むこと
二.「無意味」の意味
三.「無意味」の意味を理解してゆくこととしての「学び」と住むこと
四.「驚き」と「無知の知」
五.「学び」における「行」
六.住んでいることから–住むことへの「学び」―意味の深さ

著者|author

吉村文男(よしむら・ふみお)
1940年奈良市生まれ。奈良産業大学教授(京都教育大学名誉教授)。
著書に、『人間であること』(共著、燈影舎)、『教育人間学の根本問題』(共著、燈影舎)他。
訳書に、キュンメル『時間の人間学的構造』(理想社)、キュンメル『倫理と対話』(晃洋書房)。

 

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