〈怒り〉の文学(テクスト)化

近現代日本文学から〈沖縄〉を考える

  • 栗山雄佑(著)/2023年3月
  • 4200円(本体)/四六判上製444頁
  • 装丁:矢萩多聞

戦後50年の節目の年、1995年。1月17日、阪神・淡路大震災発生。3月20日、地下鉄サリン事件発生。そして9月4日、沖縄県民にとって衝撃の事件が起こる。さまざまな暴力の記憶が甦り、長年押し殺してきた〈怒り〉が噴出する!
〈怒り〉を暴力として放出するのではなく、文学で昇華させることはできるのか。

(ISBN 9784861108587)

目次|contents

序章 今、「沖縄」の文学を読むということ

第1部 〈一九九五年九月四日〉へ至る道―浮上する暴力の記憶
第1章 補填された欲望/裂け目からの〈叫び〉―又吉栄喜「ギンネム屋敷」論
第2章 眼前のフェンスを〈撹乱〉するために―又吉栄喜「ジョージが射殺した猪」論
第3章 テロル・皇族・沖縄を再考するための〈弱さ〉―目取真俊「平和通りと名付けられた街を歩いて」論
第2部 「希望」が提起したもの―〈一九九五年九月四日〉から立ち上がる記憶・抵抗
第4章 浮上する記憶/すれ違う記憶―〈一九九五・九〉以後の文学における初期反応
第5章 〈怒り〉の連環を止める方途―目取真俊「希望」論
第6章 誰がために〈怒り〉を言語化するのか―目取真俊「虹の鳥」論

第7章 語られぬ記憶を〈放出〉する器官―目取真俊「水滴」を読み替える
第3部 他者の声で変容する聞き手―沖縄の声を聞き受けるために
第8章 被害記憶理解への欲望と違和―目取真俊「群蝶の木」論
第9章 〈ノイズ〉混じりの証言を聞き受けること―崎山多美「月や、あらん」論
第10章 沖縄で「そんなにまでして生きないといけない」者に向けて―目取真俊「眼の奥の森」論

終章 「十年後」の「希望」を夢想して

著者|author

栗山雄佑(くりやま・ゆうすけ)
1990年大阪府生まれ。
立命館大学卒業、立命館大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。現在、立命館大学文学研究科初任研究員。専門は、近現代日本文学・文化、「沖縄」文学。
主な論文に、「癒し得ぬ傷の解消の術を求めて―崎山麻夫「ダバオ巡礼」論」(『立命館言語文化研究』第34巻第1号、2022年)、「〈聞き受け〉つつも〈再生〉できない声―目取真俊「マーの見た空」論」(中川成美、西成彦(編)『旅する日本語―方法としての外地巡礼』松籟社、2022年)など。

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