私たちはシェイクスピアの同時代人

映画にみる現代人のルネサンス的心性

  • 中村友紀(著)/2024年3月
  • 3600円(本体)/四六判上製308頁
  • 装丁:毛利一枝

シェイクスピア再生産の長きに亙る持続の理由を探り、現代の個人や社会の中に近代初期的な思考や諸価値が生きていることを跡づける。

翻案という表象の手法自体は大変古いものであり、古代ギリシャ演劇も、ギリシャの神話や伝承の劇化であり、セネカ悲劇もギリシャ悲劇の翻案であった。ルネサンスのイングランドの悲劇も、文士たちのセネカ悲劇の模倣から始まった。シェイクスピアの場合、作品の殆ど全てに、何らかの種本がある。常にどの時代の作家たちも、自分たちとは異なる思考や表現方法を持つ異文化の表象に触発されて、それぞれの様々な動機により、自分たちの懸念や関心を表現してきた。既に決まっているプロット、既存の台詞、既存の登場人物たち、これらの要素が、翻案においては制約や制限とは捉えられず、むしろ強力な訴求力を持つ表現のモデルとして、再利用された。先に引いたシムキンの指摘にあったように、社会への不満や懸念などに強烈な表現を与える際に、復讐劇というセネカ由来でありギリシャ由来でもあるフォーマットを、近代初期の劇作家たちはこぞって利用した。古典の教養を基盤とする人文主義教育を受けた文士たちにとって、レトリックの手本として、また、モラルの手本として熟知したラテン文学は、彼らの問題意識の表現の媒体として、非常に有効であった。コットにとってシェイクスピアが同時代人であったように、ルネサンスの文士たちにとっては、セネカは同時代人であったといえる。(本文より)

(ISBN 9784861109614)

目次|contents


第1章 『エイリアン:コヴェナント』の人間性のルネサンス的パラダイム――『テンペスト』の現代的翻案
第2章 ユートピアとモンスター――『テンペスト』の翻案としてのリドリー・スコットの『エイリアン・コヴェナント』
第3章 エリニュエスの正義――ギリシャ悲劇、近代初期復讐劇、ヴィジランティ映画の暴力と倫理
第4章 ヴィジランティの正義と暴力――復讐劇プロタゴニストの人物造型と現代映画に見る系譜的連続性
第5章 暴力表象のルネサンス的様式――『タイタス・アンドロニカス』と『デス・ウィッシュ』
第6章 ボレアリズム的『ハムレット』――映画『ノースマン』の北欧表象
第7章 文化を翻訳する方略――『マクベス』と『蜘蛛巣城』とクライテリオンの二種の字幕
あとがき
参考文献一覧
索引

著者|author

中村友紀(なかむら・ゆき)
関東学院大学経営学部教授、専攻・イギリス文学、ルネサンス研究
関西学院大学大学院博士後期課程単位取得退学
著書『パブリック圏としてのイギリス演劇――シェイクスピアの時代の民衆とドラマ』(春風社)
翻訳『シェイクスピアの祝祭の時空――エリザベス朝の無礼講と迷信』(フランソワ・ラロック著、柊風舎)。

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