仁平ふくみ『もうひとつの風景 フアン・ルルフォの創作と技法』「はじめに」を公開します

『もうひとつの風景 フアン・ルルフォの創作と技法』(仁平ふくみ 著)の刊行にあわせて、本書の「はじめに」を公開します。

はじめに

 

ある風景 あるいは新しいメキシコの風景を作り上げること
『フアン・ルルフォの創作ノート』

 

 

 

メキシコで生まれ没した作家フアン・ルルフォ(Juan Rulfo, 1917-1986)が創作のためにノートに綴ったメモからは、それまで人々に意識されていなかった風景、あるいは誰も経験したことがない風景描写を、自らのことばによって立ち上がらせようという野心をうかがうことができる。

ルルフォは自身の代表作『ペドロ・パラモ』について「この小説の中心人物は村です。多くの批評家は、それがペドロ・パラモだと思っているようですが、実際のところそれは村です」と述べている[Sommers 1974a: 19]。場所、その時間の経過による変化、そこで営まれる人々の暮らしが、彼の興味の対象であった。ルルフォはこの小説において、実際に存在している土地をモデルにしつつコマラという架空の村を創造した。そして「この村は死んでいて、登場人物でもあります。雰囲気、光、壁、聞こえる声、そのようなものがこの人物を形成しているのです」と語っている [Anónimo 1983: 1]。ルルフォの創作態度の根底には、場所や風景を描くことは、それと呼応した人々の暮らしや思いを提示することとつながっているという考えがありそうだ。

ルルフォは特に短篇集『燃える平原』(El Llano en llamas, 1953)と中篇小説『ペドロ・パラモ』(Pedro Páramo, 1955)によって文学史上に名を残した作家である。ルルフォの作品は、当時は文学的題材として注目されていなかったメキシコのさびれた村を舞台としたこと、登場人物たちの声が聞こえてくるかのような台詞、死者の語り、断片で構成される小説の形式などによって、のちのメキシコやラテンアメリカ文学の趨勢に大きな影響を与えた。

ルルフォが描いた作品の多くは、彼が生まれ、幼少期を過ごしたハリスコ州南部をモデルとしている。彼が作品を発表した一九五〇年代当時、国家の歴史や文化の形成に重要とはみなされていない、ある特定の地域を描くことは珍しく、かなりのインパクトがあった。

日本の五倍以上の面積を持つ広大なメキシコは、アメリカ合衆国との国境付近に広がる砂漠、首都メキシコシティのある中央高原、カリブ海岸や太平洋岸、密林が広がるユカタン半島など、多様な地理的環境を有する。また、スペイン人の到来以前からいくつもの先住民文化が花ひらいた国でもある。アステカの首都でもあったメキシコシティは植民地時代は副王領ヌエバ・エスパーニャの中心であり、人や文化の往来が盛んな場であった。十九世紀以降はヨーロッパ諸国ともさまざまな形で関わりながら、多くの亡命者も受け入れたコスモポリスであった。ハリスコ州はメキシコの中西部に位置し太平洋にも面しており、現在ではメキシコ第二の都市グアダラハラがある。とはいえ、ルルフォが描いたようなハリスコの地方の田舎町が、文学作品のモデルとして大きな注目を集めることは少なかった。ルルフォは、生まれ育った地域をこう説明している。

 

それは荒野です。あそこにはかつて肥沃で生産力があった土地が何ヘクタールにもわたって続いています。いまでは完全に失われてしまいましたが。存在していた村々は、住民たちが暮らしていけないので放棄されてしまいました。[Anónimo 1983: 1

 

荒廃した土地とその地の過去の豊かな緑が重なり合うこのイメージは、『ペドロ・パラモ』の基底音となっている。幼少期を過ごし、しかしそのあと暮らすことのなかった地への意識がルルフォの創作に決定的な影響を与えた。ルルフォは自分の幼少期のすべての時間が『ペドロ・パラモ』と関係していると語る。

 

幼少期は、人間の中に最も残るものだと思います。私には自分がいた村々の思い出がありますが、はっきりしたものではないのです。それらの場所にはほとんど行かなかったし、ただ表面的にしか知らなかったのです。[Anónimo 1983: 2

 

成人したのちルルフォはメキシコ史の資料や年代記を読み、ハリスコの歴史についても知識をたくわえてゆく。子どもとして経験し感じたものの背景を知り、また関わりのある歴史的出来事や騒乱を客観的に位置づけようとしたのだろうか。この経験と記憶、そしてのちに得た知識とに裏打ちされた思考によって生まれたのがルルフォの作品であると言えよう。

実際の場所や出来事をモデルとしていても、作中で語られる土地の情景は、単なる記録にとどまらない相貌を見せる。この矛盾しているようにも思われる創作の方法について、ルルフォ自身は迷いながらもこう説明している。

 

どうするとはっきりするでしょうか……。現実はそこにあって、私はそれを知っている。それについての知識も持っている。でも、現実について書くときには、私はそれを想像してみなくてはならないのです。想像しながら、もういちど練り直すのです。ですから多くの場合、私が書くのは想像したものを通してであって、現実とはまったく似ていないものになるのです。[Anónimo 1983: 1

 

表立って作品にはあらわれていないとしても、土地の歴史への彼の認識は創作に反映されている。ルルフォは作品の中に自身の記憶や想像の中に存在する風景を構築しようとし、さらにその中に、その地に積み重ねられた過去の歴史的文脈も透かしてみせた。彼の作品はどこかに実在する場所の忠実な記録ではなく、多層な声や過去への回想、会話が織りなす独自の創作であり、それでいながらかつてあった実在の場所の雰囲気を伝えるものである。

ここで、ルルフォの幼少期が苛酷なものであったことにも触れておく必要があるだろう。幼少期の記憶の風景の中にある「死」や「暴力」といったものが作品に否応なく入りこんでくるからである。ルルフォは実際に起きた出来事―そこには彼自身の父親の殺害も含まれている―を書きかえる形で、場所が経てきた過去の記録を行っている。インタビューでルルフォはこのように語っている。

 

私はとても苦しい、とても厳しい少年時代を過ごしました。完全に破壊された場所で、あるひとつの家族が、いともたやすく崩壊したのです。私の父、母に始まり、父のすべての兄弟さえも殺されたのです。そのとき私は荒廃した地域に住んでいました。人間的な荒廃というだけではなく、地理的にも荒れていました。こんにちまで、これらすべての理由が何なのか説明できていません。革命のせいにはできません。それよりもっと古からの、運命的な、不合理なものなのです。[Sommers 1974a: 20

 

実はこのルルフォの発言には事実とは異なる点も混じっているのだが、それはここではおいておくとして、注目したいのは、説明の際に、ルルフォが場所と一族の運命を関連させて考えているということである。この逃れられない宿命のような一族の崩壊と荒廃した風景とを交わらせるといった、人間と場所を重ねる感性の表出は、多くのルルフォ作品に見てとることができる。また、のちに論じていくように、ルルフォは作家というものは自分が知る地域を表現していると考えていた。ルルフォが誰も書いたことがない風景を創出しようとしたとき、その風景とはそこに住む人々や彼の記憶を通じてのものである。ルルフォの作品には実在するメキシコの具体的な地名や、モデルが推測できる場所が多く使用されている。

また、留意しておきたいのは、ルルフォは物理的にも精神的にも安住の地を持たない人々を描いたことである。作品に登場するのは一つの土地に古くから根づく伝統的な綿々と続く生ではなく、ある地にたどり着き、また去ってゆく、あるいはいつかは去ってゆくであろう人々、移動する人間の姿である。それと同時に、逆説的ではあるが、この人々が置かれた状況は一過性のものではなく、さまざまな歴史の局面で現れてくる人々の祖型のような普遍性をも帯びる。ここにルルフォ作品がそののちの時代にも、また別の場所でもアクチュアルなものとして読まれる理由があるだろう。ルルフォが書いた場所は、人々の移ろいも刻印しておくものであったと言える。彼は、一見するとなにもなく、目印や名称によって喚起されるものが多くはない乾いた自然やさびれた村に、幾層にも積み重なった過去を見、またそれをことばで表現した。

本書の興味の対象は、ルルフォ作品における場所とその場所が経てきた歴史、またその語り方である。それはこの作家の年代記をはじめとした記録というものへの憧れ、作品における話しことばと書きことばのもつれた関係を考えずに論じることは難しい。

ルルフォはそれまでのメキシコ文学において描写されてこなかった農民、革命に参加した一兵士、寒村に暮らす人々の声を拾いあげたとされる。彼の作品の多くでモノローグや一人称の語りが用いられ、さらにそれらの多くは誰のためでもない語り、あるいは表現せずにはいられない自分のための語りなのである。この作家は人々の声に耳を傾け、かつそれを自分で語り直し記述された文字として残すことに、特別な感性を持っていた。それらは田舎の人々の話し方のスタイルをそのまま忠実に書き取っただけのものではなく、文学的な工夫を凝らしたものであった。彼の文学作品は現実から出発し、実在する場所や実際に起きた出来事をふまえながらも独自の世界を創り上げた。本書はわずかにでもこの過程を明らかにしようとする試みである。ルルフォの短篇や小説をはじめとした創作、それ以外のテクストや同時代の文壇の状況や他の作家の作品や歴史記録も参照しながら、ルルフォが時間や登場人物までもを含みこんだ風景を立ち上げようとした手法の特徴を分析してゆきたい。

本書は大きく四部に分かれる。それぞれのキーワードは「権力」、「場所の表象」、「実際に起きた出来事のフィクション化」、「語りの技法」である。それぞれで、彼が風景や場所から立ち上がり層を成す繰り返される出来事や暴力の過去を、一つの物語、一つの描写に凝縮して託そうとした技法とその成熟や工夫を扱う。ルルフォが持っていたのは過去を幻視する能力、場所の過去を想起し文学として再創造する能力であったことをさまざまな側面から検証する。

 

参考文献

ANÓNIMO.“Revela Rulfo el proceso de creación de sus personajes”, Excélsior, 14 de agosto, 1983, 1-2. (初出 El Ornitorrinco, Bs. As.)

SOMMERS, JOSEPH.  “Los muertos no tienen tiempo ni espacio (un diálogo con Juan Rulfo)”, en La narrativa de Juan Rulfo. Interpretaciones críticas. Joseph Sommers (antología, introd. y notas), Secretaría de Educación Pública, 1974a, pp. 17-22. (初出La Cultura en México, suplemento de ¡Siempre!, núm. 1051, 1973.)

 

(ウェブ公開に際して、一部表記を書籍から変更しています)