【特別寄稿】ルイーズ・グリュックの詩をどう読むか――『アヴェルノ』翻訳を終えて(訳者:江田孝臣)

『アヴェルノ』における体験の神話化

 実際の葛藤がいかなるものだったかは不明だが、詩に表現されているそれは、読めば誰でも分かるように、生死を賭けた闘争である。その背後に見え隠れする死んだ姉の影は、話者自身の敗北と死の可能性を暗示しているようである。この命がけの闘争が、たとえば「フーガ」(“Fugue”)と題された詩では次のように神話化される。

 


夢を見た。母が木から落ちた。
落ちた後、木は死んだ。
役目を果たし終えたのだ。
母は無傷だった―母の矢が消えた。翼は
腕に変わった。火矢を射る半人半馬だ。母は気づく―

 

郊外住宅の庭にいることに。それはわたしの元に戻ってくる。
(中略)

 


夢を見た。私たちは交戦中。
母は、茂った草むらに石弓を置いて、立ち去る。

 

(射手サギタリウス)

 

永久に閉じられたわたしの子ども時代は
金色に変わった。藁を厚く敷きつめた
秋の庭のように。
            (本書、p.71-73)

 
冒頭三行がきわめて辛辣だ。母親との葛藤をほとんど経験することなく成人した読者にとって、この辛辣さは理解できるものなのだろうか。

 母親と娘の闘争は、しばしばデメテルとペルセポネの物語としても神話化される。グリュックのこの物語への執着は強迫的である。グリュック流に潤色され変奏され、何度も反復する。その一例をふたたび『アヴェルノ』の巻末詩「さまよい人ペルセポネ」(“Persephone the Wanderer”)に見てみよう。娘の母離れを峻拒する母親の執念が、冥界の王ハデスから娘を取り戻そうとする大地の女神デメテルの姿に投影される。

 

第二のバージョンでは、ペルセポネは
死んでいる。彼女は死に、母がなげく―
ここでは、我々はセクシュアリティの問題に
頭を悩ます必要はない。

 

悲しみのデメテルは、憑かれたように
大地を経めぐる。・・・
(中略)
娘を探すデメテルは何を企んでいるのか。
彼女は警告を
発している。込められたメッセージはこうだ。
お前は、私の体の外で何をしているのか。

 

お前は自問する。
なぜ母の体が安全なのか。

 

答えはこうだ。
その問いが間違っている。なぜなら

 

娘の体は
母の体から分かれた枝としてしか
存在しないからだ。
何が何でも
元の幹にもどす必要がある。
            (本書、p.154-160)

 
娘の独立をめぐる、これほど激しい母娘の葛藤(闘争)が主題化された例は、アメリカ詩にはまれであろう。その激烈さは、シルヴィア・プラス(Sylvia Plath [1932-63])が夫への憎悪から遡及的に喚起する父親への神話化された憎悪のそれに匹敵する。おそらく詩人としてグリュックはプラスから学ぶところが多かっただろう。プラスが後に『エアリエル』(Ariel, 1965)に収録される多くの詩を書いていた時期は、グリュックが拒食症で苦しんでいた時期と重なる。

 

ペルセポネ神話の変奏

 ペルセポネ神話は、やや気づきにくい形で、他の詩篇でも変奏される。
 「風景」の第一節と最後の第五節では、「わたし」とよそ者の男が馬で荒野を旅しているが、この二人は、冥界に赴くペルセポネとハデスを暗示していると読める。第三節には、晩秋の刈り入れ前の小麦畑に放火した後、失踪する少女への謎めいた言及がある(実際の失踪事件をヒントにしているにおいがする)。同じ事件は、寓話的な表題詩「アヴェルノ」の第二、三、五節においても、年老いたイタリア人の視点から語られ、少女が火口湖アヴェルノから拉致された、あるいは溺死した可能性が示唆される。小麦畑を焼き払う行為は、ペルセポネのデメテルへの反抗を暗示しているように思える。少女の拉致あるいは溺死は、もちろんハデスの仕業だろう。再び「風景」に戻れば、第二節と第四節で、一人称の話者が、冬の湖の氷を踏み割って、溺死(凍死)しかけた経験あるいは夢を思い出す。「無垢の神話」にも、「水たまりから姿を消した少女」への言及がある。これらもまたハデスによる拉致、あるいはデメテルからの逃亡というモチーフの変奏と解釈できるように思う。これらの他にも、一見自伝的だが、暗黙裡にペルセポネ・デメテル神話と対照された詩句が、長い序詩「十月」や「プリズム」、「エコー」、「フーガ」、そして「青いロタンダ」などの優れた詩の中に見い出せる。

 詩篇と詩篇をつなぐ神話的・寓話的な「糸」はほかにもありそうである。これ以上は、読者自身で探して頂きたい。

クーマエの巫女
(Sybilla Cumaea, Andrea del Castagno 15世紀イタリア、ウフィッツィ美術館、フィレンツェ)
アヴェルノ湖のすぐ北西にあるアポロ神殿(現存)の巫女=予言者

 

苦難の克服

 苦難の克服は、きわめて元型的な(archetypal)モチーフである。親と敵対する子の苦難であれば、子にとっては命がけの、それこそ神話的様相を帯びた闘いになり得る。闘いに消費される心的エネルギーは膨大だ。敗北は死か狂気を意味する。それを生き抜いた強靭さが、グリュックの詩の強靭さ、書き続ける強靭さに通じているようだ。同世代の詩人を論じた評論に、次のような一節がある―

 

苦難によって生み出された詩は――多分、より正確に言えば、苦難を主題として探究することを強いられた詩は――おそろしく無謀な言葉や幻覚を生成する傾向がある。八方破れの言葉が、エクスタシーに具体的なフォームを与えるのだ。
                (“On Hugh Seidman,” Proofs & Theories, p. 50.)

 
詩人による評論にはしばしばあることだが、この一節は書いた詩人自身にもよく当てはまる。

 

まずは『アヴェルノ』から

 前述したように、グリュックは、初めての読者には、近作の『アヴェルノ』または『しとやかで貞淑な夜』から入ることを勧めている。しかし、後者から読み始めることには、筆者は首肯できない。その理由については、「主要詩集紹介」を見て頂ければお分かり頂けると思う。私見では、今までのところ、グリュックの詩業の頂点は『アヴェルノ』である。主題に統一性があることからも、初めての読者向きであろう。(『アヴェルノ』を最後にとっておいて、初期から発表順に読んでみたいと考える読者もいるだろう。そういう人には『アララト』から始めることを勧めたい。)

 なお、この解題を書いている時点では、最初の邦訳は野中美峰訳の対訳版『野生のアイリス』(角川書店、2021年)である。本書は二番目の邦訳となるかもしれない。他の詩集については、当面は原著で読むしかない。さいわい、グリュックの詩はむずかしい言葉も言い回しも使わない。前述したように口語自由詩体は基本的に散文を読むのと変わらない。伝統的な英詩のように、脚韻を踏み韻律を整えるために倒置や省略、変則的な文法、英詩独自の言葉(詩語)や古語、廃語が用いられることはない。欧米の中学生なら十分読める(無論、内容が理解できるかは別問題だが)。ギリシア神話についての初歩的な知識以外、欧米の文学、文化についての知識もほとんど必要ない。一冊の詩集のページ数も六十頁前後と薄い。原著で読むことはけっしてむずかしくない。(了)
 
※1 以上の文章は、思潮社刊『現代詩手帖』2021年2月号に寄稿した拙文「ルイーズ・グリュック紹介」に大幅に加筆したものである。
※2 詩人の名前の片仮名表記について―Glückはハンガリーの姓。üは英語の[i]と[u]の中間音に相当する。聞き手によって、グリュックともグリックとも、あるいはグルックとも聞こえる。グラックと発音するアメリカ人もいる。本訳書では、ドイツ語のウムラウトを知る日本人が、原綴からもっとも想像しやすい発音「グリュック」を採った。

 

参考文献

~Essays~
Louise Glück, Proofs & Theories: Essays on Poetry. Hopewell, NJ: Ecco Press, 1994.
Louise Glück, American Originality: Essays on Poetry. New York: Farrar, Straus and Giroux, 2017.
Louise Glück, “Louise Glück: Biographical” (2020). NobelPrize.org
                (https://www.nobelprize.org/prizes/literature/2020/gluck/interview/)
Louise Glück, “Louise Glück: Nobel Lecture” (2020). NobelPrize.org
                (https://www.nobelprize.org/prizes/literature/2020/gluck/interview/)

~Interviews~
Ann Douglas (interviewer). “Descending Figure: An Interview with Louise Glück.”Columbia: A Journal of Literature and Art (No.6, Spring/Summer 1981), pp. 116-25.
                (https://www.jstor.org/stable/42744361)
Joanne Feit Diehl (interviewer). “An Interview with Louise Glück.”Ed. Joanne Feit Diehl, On Louise Glück: Change What You See (Ann Arbor, MI: University of Michigan Press, 2005), pp. 183-89.
Grace Cavalieri (interviewer). “In the Magnificent Region of Courage:An Interview with Louise Glück.” Beltway Poetry Quarterly (Volume 7:4,Winter 2006).
                (https://www.beltwaypoetry.com/interview-gluck/)
Dana Levin (interviewer). “For a Dollar: Louise Glück in Conversation.”American Poet: The Biannual Journal of the Academy of American Poets (2009).
                (https://poets.org/text/dollar-louise-gluck-conversation)
Elisa Gonzalez (interviewer). “An Interview with Louise Glück.”Washington Square Review (Issue 35, Spring 2015).
                (https://www.washingtonsquarereview.com/louise-gluck)
Adam Smith (interviewer). “Louise Glück: Interview.” (Telephone interview, Oct. 2020). The Nobel Prize. org
                (https://www.nobelprize.org/prizes/literature/2020/gluck/interview/)
Alexandra Alter (interviewer). “‘I Was Unprepared’: Louise Glück on Poetry, Aging and a Surprise Nobel Prize.” The New York Times (Oct. 8, 2020).
      (https://www.nytimes.com/2020/10/08/books/louise-gluck-nobel-prize-literature.html)


『アヴェルノ』

ルイーズ・グリュック(著)/江田孝臣(訳)
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