北上川
- 橋本照嵩 撮影/2005年10月
- 3333円(本体)/B5変形判並製・208頁
木村伊兵衛をして「臭ってくる」と言わしめた伝説の写真集『瞽女』の写真家・橋本照嵩が、故郷・北上川の原風景と人々の暮らしを深い愛情と洞察力をもち半世紀かけて写しとった。写真表現をひたすら磨いてきた写真家畢生の写真集!
(ISBN 4861100550)
撮影者|photographer
橋本照嵩(はしもと・しょうこう)
宮城県石巻市出身。1974年に『瞽女』で日本写真協会新人賞受賞。
「橋本照嵩の写真館」
担当編集者から
橋本照嵩を推す
山口百恵は菩薩であると喝破した人がいた。
その伝でいくと橋本照嵩は地鶏である。なぜ地鶏か。まず風貌からして赤銅色の筋肉が双肩に盛り上がり、ファストフードなど絶対食わぬと思わせるような圧倒的な存在感、オーラを発しているからだ。眼をギョロつかせ、口をすぼめ、ウヒョヒョヒョヒョ…、まさに好奇心の塊といった風情をかもし出す。
先年亡くなった名編集者・安原顯は好きな詩人・作家について、字が書いてあればなんでもかまわないと礼賛したそうだが、その伝でいくと、橋本照嵩の写真ならなんでもかまわないという気持ちがわたしにはある。橋本の写真ほど多義性を感じさせる写真をわたしは他に知らないからだ。ブロイラーでない地鶏が好奇心まるだしでコココ、コココ…と地を歩く姿を思い浮かべるだけで愉快になってくる。
写真家橋本照嵩の故郷は宮城県石巻市。子供のころ、父や伯母の引くリヤカーに乗せられ見た景色・視点が橋本の写真家人生を決定づけたと聞いている。味覚を刺激する写真を撮る写真家、聴覚を刺激する写真を撮る写真家がいるけれど、橋本は「地を這うよう」にしながら匂いを嗅ぎ取り嗅覚を刺激する写真を撮る。橋本の写真は圧倒的に嗅覚にうったえてくる。あたかも匂いがこの世とあの世をつなぐ糸であるかのように。
橋本の最初の写真集『瞽女』を見た木村伊兵衛は「臭ってくる写真集」と絶賛。然り、匂いといっても、いい匂いばかりではない。汗の匂い、潮の匂い、煙の匂い、雨の匂い、風の匂い、魚の匂い、乳の匂い、醤油の匂い、味噌の匂い、肥やしの匂い、男の匂い、女の匂い、花の匂い、石の匂い、鉄の匂い、魂の匂い、この世には無数の匂いが渾然一体となって渦巻いている。押し寄せる匂いに噎せ返りながら橋本はシャッターを切る。橋本の写真の多義性は匂いの多義性といっても過言ではないだろう。
この写真集には橋本が高校時代に撮ったものも含まれている。初めて買ってもらったカメラ(リコーフレックス)を手にした若き写真家の喜びはいかばかりだったろう。その後橋本は写真を生業にするようになり、東京の出版社・雑誌社の仕事を多く手がけるようにもなる。しかし、ことあるごとに帰省し、写真パネルを積んだリヤカーを引き引き街角展を開きながら北上川を撮りつづけてきた。
半世紀、歓喜と共に無我夢中で橋本がフィルムに収めたものの一部を思いつくまま列記すれば、いかにも美味そうにキセルで煙草を吸う祖父、酒好きの父、祈るような破顔一笑の母、姉のように優しい叔母、結婚披露宴で妖しげな手つきで泥鰌掬いを踊る隣りの床屋、橋を渡るさまざまな物売りたち、海苔を干す夏木マリそっくりの老婆、札束の勘定に余念がない博労たちの欲望うずまく馬市、売られていくことを知っているかのように悲しい表情を浮かべるシャガールの馬、花火、由利徹、天津敏、シジミ漁、出漁する船、ときどき登場しては見るものをドキリとさせる子供たちの目、川を遡上する鮭、産卵を終えた母鮭がカラスやトンビに目玉を食われる…。ちょろちょろ湧きだす源泉がやがて海へ注がれるように、明滅する光のごときどれもこれもが大河・北上川へと収斂し飲み込まれていく。やがて写真家として歩き始めるだろう橋本の郷土を映し出した一コマ一コマの写真を現在の時間のうちに眺めながら、むしろ〈写真の時間〉に引き込まれていく自分に気づかされる。深層の魂が流露する表現者の排水溝を人知れず磨いてきた写真家の切なる思いが写真一枚一枚に込められている。
虚実ない交ぜの生活と幻想のすべて、息遣いを魂の写真家はギョロ目を開けて写し撮る。人間はどこから来てどこへ向かうのか。これは、いわば写真家橋本の人生探索の記録であり、〈四次元銀河リヤカーの旅〉なのだ。[-三浦-]