『病いと薬のコスモロジー』の書評が『宗教研究』に掲載されました

『宗教研究』2021年95巻3号に、長岡慶(著)『病いと薬のコスモロジー―ヒマーラヤ東部タワンにおけるチベット医学、憑依、妖術の民族誌』の書評が掲載されました。評者は宮坂清先生(名古屋学院大学)です。「多彩かつ示唆に富む事例の数々に簡潔にして要を得た分析が加えられ、テンポよく展開し、読む者を飽きさせない。」

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『病いと薬のコスモロジー』の書評が『アジア・アフリカ地域研究』に掲載されました

『アジア・アフリカ地域研究』第21-2号/2022年3月号に、長岡慶(著)『病いと薬のコスモロジー―ヒマーラヤ東部タワンにおけるチベット医学、憑依、妖術の民族誌』の書評が掲載されました。評者は鈴木正崇先生(慶應義塾大学 名誉教授)です。「本書で最も生彩を放つのは魅力的な対話である。ここの語り口が生き生きしていて小さな物語の連鎖として読める。〔…〕話者と筆者のかなりの信頼関係がなければこれだけのフィールドワークは出来ない」

『アフリカの森の女たち』の書評が『アジア・アフリカ地域研究』に掲載されました

『アジア・アフリカ地域研究』第21-2号/2022年3月号に、ボニー・ヒューレット(著)、服部志帆、大石高典、戸田美佳子(訳)『アフリカの森の女たち―文化・進化・発達の人類学』の書評が掲載されました。評者は田中文菜さん(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)です。「現地の人々と著者の関わり方がみえてくる丁寧なフィールドワークの記述は、スキルの伝達が難しいナラティブ・インタビューのひとつの手本として貴重だといえる」

 

『アフリカの森の女たち』の書評が『アフリカ研究』に掲載されました

『アフリカ研究』Vol.100 (2022)に、ボニー・ヒューレット(著)、服部志帆、大石高典、戸田美佳子(訳)『アフリカの森の女たち―文化・進化・発達の人類学』の書評が掲載されました。評者は今村薫先生(名古屋学院大学)です。「ヒューレット博士と、訳者たちの共同作業によって、熱帯雨林の世界が多面的に描かれることに成功したといえよう」

 

『「私らしさ」の民族誌―現代エジプトの女性、格差、欲望』(鳥山純子 著)「はじめに」を公開します

『「私らしさ」の民族誌―現代エジプトの女性、格差、欲望』(鳥山純子 著)の刊行にあわせて、本書の「はじめに」を公開します。

 

 

 

 

はじめに

 

 

 

 

 

 

 本書は、3人のエジプト人女性と私、という4人の「こじらせ女子」の民族誌である。登場するのは優しい優等生でありながら口うるさいところのある20代未婚学校教員のシャイマ、大して仕事ができないのに美貌と依怙贔屓で生徒の人気者になろうとする、2人の子を持つ学校教員サラ、そして貫禄たっぷりに相手を威圧することに長けた60代のリハーム校長、そして私である。彼女たちは、2000年代初頭のカイロで国家、消費社会、さらには学問的枠組みにまで「私らしさ」を強制され、それぞれに夢見て、その実現に邁進していた。

 2007年9月から2008年3月までの秋学期、私たちはみなエジプトのカイロ郊外にある、自称アメリカンスクールの私立学校(本書では以下A校と記す)で教員として働いていた。本書で扱う出来事のほとんどは、A校における日常生活の一部である。登場する女性たちは三者三様(四者四様?)に「私らしさ」をこじらせていた。私たち4人は他人からみれば、それなりに恵まれ、それなりに充実した日々を過ごしていた。しかしまた自分たちの生活に対してどこか割り切れないものを抱えていた。それは、あえて声高に語る必要のあるような重大な問題ではなかったし、意識的に無視することができないものでもなかった。それでも、一度考え始めると、いつまでも話し続けられるようなものだった。

 本書の特徴は、自分の描く理想と現実とのずれに思い悩む、女性たちの「こじらせ」に着目することにある。彼女たちが自分らしさをこじらせていたのも無理はない。欧米中心主義的植民地構造の中でグローバル化が進行する00年代のカイロでは、格差の拡大、汚職、コネ至上主義がはびこっていた。その一方で、消費環境は豊かになり、誰もが消費主義的豊かさを求め、またそれが努力次第で手に入るような幻想を生きていた。人々は手に入れたいものと、実際に手に入れることができるものとの狭間に自分を見出すことを余儀なくされていた。本書では人々の欲望や希求を起点に、制約や限界と期待や希望の間で、なりたい自分になるべく日々生きる人々の独創性や柔軟性、そしてエネルギーに目を向ける。

 私にとって本書で行うことは大きく二つに分けられる。まず一つ目は、2007年8月から2008年2月にかけて、同じ場と時間を過ごした女性たちについて整理し、彼女たちが提示した「私らしさ」に従って彼女たちについての理解を深めることである。「私らしさ」は「誰でもない唯一無二の私」に関わる表現ではあるが、社会的に作られたものでもある。それは自分を定義し、自己の尊厳を主張する拠り所であると同時に、自己を制約するものでもある。「私らしさ」に則してA校で働く彼女たちを描写し、彼女たちと共に時間を過ごした私の姿を振り返ることで、21世紀になって間もないカイロ近郊に生きた、3人の女性たちについて考えてみたい。

 二つ目に試みたいのは、人々の包括的な生の描き方、すなわち民族誌の「書き方」に関わる取り組みである。実際のところを言えば、調査とはいえ当時は、突然成り行きで教員になることになり、私は日々の業務をこなすだけで精一杯だった。本書で描く3人の女性学校教員は、私にとっては同僚や上司であり、A校で児童・生徒やその保護者たちに対して共に戦う同志だった。彼女たちとは、日々共に働く中で、協力することもあれば、衝突することもあった。彼女たちの言動には、当時の私にとって不可解なものも数知れず、疑問に思ったものもあれば、その時は気にも留めなかったものもある。特に彼女たちの悩みには、私には取るに足らないと思えるものや、誤った認識に基づくように思えたものが多かった。彼女たちが何かを語る時には精一杯聞いているフリをしたが、今振り返ってみれば、自分がそれらにきちんと向き合えていたとは言い難い。日本に戻り、彼女たちの言動について議論を組み立てようとしたものの、驚くほど私には彼女たちのことが理解できていなかった。そうした理解不可能性を含みつつ、私が調査地で出会った人々を包括的に描くには、どのような方法があるのだろうか。

 こうした問いを念頭に、本書では、当時理解できなかった言動を、今更無理に解釈しようとすることは止めることにした。わからなかったことはわからないなりに、自分の思い込みはそのままに、まずは文章として書き記してみることにした。当時彼女たちの話を十分に理解する努力ができなかった自分への反省もこめて、せめて彼女たちの言動を都合の良い枠組みでまとめることは避けたいと思う。

 もしあの瞬間に時間を戻して、彼女たちの話を真摯に聞き、わからないことは粘り強く質問を重ね、一緒に悩むことができるなら、それに越したことはないかもしれない。ただ、それができない代わりに、今持てる私の精一杯の誠意として、彼女たちの多様な側面をできるかぎり描き出すことにする。正直なところ、今に至るまで私にはよくわからないことは多々あるが、それらをそぎ落とさずそのままに記すことで、私の理解の限界を示すと同時に、今後より優れた解釈が出てくることを期待したい。

 

 

 

(ウェブ公開に際して、一部表記を書籍から変更しています)

 

『言語教師教育論』『言語景観から考える日本の言語環境』が『凡人社通信』で紹介されました

凡人社発行の新刊案内『凡人社通信』No.352/2022年3月15日号に『言語教師教育論―境界なき時代の「知る・分析する・認識する・為す・見る」教師』(B・クマラヴァディヴェル 著/南浦涼介、瀬尾匡輝、田嶋美砂子 訳)、『言語景観から考える日本の言語環境―方言・多言語・日本語教育』(ダニエル・ロング、斎藤敬太 著)の図書紹介が掲載されました。

本案内はこちらからご覧になれます。

仁平ふくみ『もうひとつの風景 フアン・ルルフォの創作と技法』「はじめに」を公開します

『もうひとつの風景 フアン・ルルフォの創作と技法』(仁平ふくみ 著)の刊行にあわせて、本書の「はじめに」を公開します。

はじめに

 

ある風景 あるいは新しいメキシコの風景を作り上げること
『フアン・ルルフォの創作ノート』

 

 

 

メキシコで生まれ没した作家フアン・ルルフォ(Juan Rulfo, 1917-1986)が創作のためにノートに綴ったメモからは、それまで人々に意識されていなかった風景、あるいは誰も経験したことがない風景描写を、自らのことばによって立ち上がらせようという野心をうかがうことができる。

ルルフォは自身の代表作『ペドロ・パラモ』について「この小説の中心人物は村です。多くの批評家は、それがペドロ・パラモだと思っているようですが、実際のところそれは村です」と述べている[Sommers 1974a: 19]。場所、その時間の経過による変化、そこで営まれる人々の暮らしが、彼の興味の対象であった。ルルフォはこの小説において、実際に存在している土地をモデルにしつつコマラという架空の村を創造した。そして「この村は死んでいて、登場人物でもあります。雰囲気、光、壁、聞こえる声、そのようなものがこの人物を形成しているのです」と語っている [Anónimo 1983: 1]。ルルフォの創作態度の根底には、場所や風景を描くことは、それと呼応した人々の暮らしや思いを提示することとつながっているという考えがありそうだ。

ルルフォは特に短篇集『燃える平原』(El Llano en llamas, 1953)と中篇小説『ペドロ・パラモ』(Pedro Páramo, 1955)によって文学史上に名を残した作家である。ルルフォの作品は、当時は文学的題材として注目されていなかったメキシコのさびれた村を舞台としたこと、登場人物たちの声が聞こえてくるかのような台詞、死者の語り、断片で構成される小説の形式などによって、のちのメキシコやラテンアメリカ文学の趨勢に大きな影響を与えた。

ルルフォが描いた作品の多くは、彼が生まれ、幼少期を過ごしたハリスコ州南部をモデルとしている。彼が作品を発表した一九五〇年代当時、国家の歴史や文化の形成に重要とはみなされていない、ある特定の地域を描くことは珍しく、かなりのインパクトがあった。

日本の五倍以上の面積を持つ広大なメキシコは、アメリカ合衆国との国境付近に広がる砂漠、首都メキシコシティのある中央高原、カリブ海岸や太平洋岸、密林が広がるユカタン半島など、多様な地理的環境を有する。また、スペイン人の到来以前からいくつもの先住民文化が花ひらいた国でもある。アステカの首都でもあったメキシコシティは植民地時代は副王領ヌエバ・エスパーニャの中心であり、人や文化の往来が盛んな場であった。十九世紀以降はヨーロッパ諸国ともさまざまな形で関わりながら、多くの亡命者も受け入れたコスモポリスであった。ハリスコ州はメキシコの中西部に位置し太平洋にも面しており、現在ではメキシコ第二の都市グアダラハラがある。とはいえ、ルルフォが描いたようなハリスコの地方の田舎町が、文学作品のモデルとして大きな注目を集めることは少なかった。ルルフォは、生まれ育った地域をこう説明している。

 

それは荒野です。あそこにはかつて肥沃で生産力があった土地が何ヘクタールにもわたって続いています。いまでは完全に失われてしまいましたが。存在していた村々は、住民たちが暮らしていけないので放棄されてしまいました。[Anónimo 1983: 1

 

荒廃した土地とその地の過去の豊かな緑が重なり合うこのイメージは、『ペドロ・パラモ』の基底音となっている。幼少期を過ごし、しかしそのあと暮らすことのなかった地への意識がルルフォの創作に決定的な影響を与えた。ルルフォは自分の幼少期のすべての時間が『ペドロ・パラモ』と関係していると語る。

 

幼少期は、人間の中に最も残るものだと思います。私には自分がいた村々の思い出がありますが、はっきりしたものではないのです。それらの場所にはほとんど行かなかったし、ただ表面的にしか知らなかったのです。[Anónimo 1983: 2

 

成人したのちルルフォはメキシコ史の資料や年代記を読み、ハリスコの歴史についても知識をたくわえてゆく。子どもとして経験し感じたものの背景を知り、また関わりのある歴史的出来事や騒乱を客観的に位置づけようとしたのだろうか。この経験と記憶、そしてのちに得た知識とに裏打ちされた思考によって生まれたのがルルフォの作品であると言えよう。

実際の場所や出来事をモデルとしていても、作中で語られる土地の情景は、単なる記録にとどまらない相貌を見せる。この矛盾しているようにも思われる創作の方法について、ルルフォ自身は迷いながらもこう説明している。

 

どうするとはっきりするでしょうか……。現実はそこにあって、私はそれを知っている。それについての知識も持っている。でも、現実について書くときには、私はそれを想像してみなくてはならないのです。想像しながら、もういちど練り直すのです。ですから多くの場合、私が書くのは想像したものを通してであって、現実とはまったく似ていないものになるのです。[Anónimo 1983: 1

 

表立って作品にはあらわれていないとしても、土地の歴史への彼の認識は創作に反映されている。ルルフォは作品の中に自身の記憶や想像の中に存在する風景を構築しようとし、さらにその中に、その地に積み重ねられた過去の歴史的文脈も透かしてみせた。彼の作品はどこかに実在する場所の忠実な記録ではなく、多層な声や過去への回想、会話が織りなす独自の創作であり、それでいながらかつてあった実在の場所の雰囲気を伝えるものである。

ここで、ルルフォの幼少期が苛酷なものであったことにも触れておく必要があるだろう。幼少期の記憶の風景の中にある「死」や「暴力」といったものが作品に否応なく入りこんでくるからである。ルルフォは実際に起きた出来事―そこには彼自身の父親の殺害も含まれている―を書きかえる形で、場所が経てきた過去の記録を行っている。インタビューでルルフォはこのように語っている。

 

私はとても苦しい、とても厳しい少年時代を過ごしました。完全に破壊された場所で、あるひとつの家族が、いともたやすく崩壊したのです。私の父、母に始まり、父のすべての兄弟さえも殺されたのです。そのとき私は荒廃した地域に住んでいました。人間的な荒廃というだけではなく、地理的にも荒れていました。こんにちまで、これらすべての理由が何なのか説明できていません。革命のせいにはできません。それよりもっと古からの、運命的な、不合理なものなのです。[Sommers 1974a: 20

 

実はこのルルフォの発言には事実とは異なる点も混じっているのだが、それはここではおいておくとして、注目したいのは、説明の際に、ルルフォが場所と一族の運命を関連させて考えているということである。この逃れられない宿命のような一族の崩壊と荒廃した風景とを交わらせるといった、人間と場所を重ねる感性の表出は、多くのルルフォ作品に見てとることができる。また、のちに論じていくように、ルルフォは作家というものは自分が知る地域を表現していると考えていた。ルルフォが誰も書いたことがない風景を創出しようとしたとき、その風景とはそこに住む人々や彼の記憶を通じてのものである。ルルフォの作品には実在するメキシコの具体的な地名や、モデルが推測できる場所が多く使用されている。

また、留意しておきたいのは、ルルフォは物理的にも精神的にも安住の地を持たない人々を描いたことである。作品に登場するのは一つの土地に古くから根づく伝統的な綿々と続く生ではなく、ある地にたどり着き、また去ってゆく、あるいはいつかは去ってゆくであろう人々、移動する人間の姿である。それと同時に、逆説的ではあるが、この人々が置かれた状況は一過性のものではなく、さまざまな歴史の局面で現れてくる人々の祖型のような普遍性をも帯びる。ここにルルフォ作品がそののちの時代にも、また別の場所でもアクチュアルなものとして読まれる理由があるだろう。ルルフォが書いた場所は、人々の移ろいも刻印しておくものであったと言える。彼は、一見するとなにもなく、目印や名称によって喚起されるものが多くはない乾いた自然やさびれた村に、幾層にも積み重なった過去を見、またそれをことばで表現した。

本書の興味の対象は、ルルフォ作品における場所とその場所が経てきた歴史、またその語り方である。それはこの作家の年代記をはじめとした記録というものへの憧れ、作品における話しことばと書きことばのもつれた関係を考えずに論じることは難しい。

ルルフォはそれまでのメキシコ文学において描写されてこなかった農民、革命に参加した一兵士、寒村に暮らす人々の声を拾いあげたとされる。彼の作品の多くでモノローグや一人称の語りが用いられ、さらにそれらの多くは誰のためでもない語り、あるいは表現せずにはいられない自分のための語りなのである。この作家は人々の声に耳を傾け、かつそれを自分で語り直し記述された文字として残すことに、特別な感性を持っていた。それらは田舎の人々の話し方のスタイルをそのまま忠実に書き取っただけのものではなく、文学的な工夫を凝らしたものであった。彼の文学作品は現実から出発し、実在する場所や実際に起きた出来事をふまえながらも独自の世界を創り上げた。本書はわずかにでもこの過程を明らかにしようとする試みである。ルルフォの短篇や小説をはじめとした創作、それ以外のテクストや同時代の文壇の状況や他の作家の作品や歴史記録も参照しながら、ルルフォが時間や登場人物までもを含みこんだ風景を立ち上げようとした手法の特徴を分析してゆきたい。

本書は大きく四部に分かれる。それぞれのキーワードは「権力」、「場所の表象」、「実際に起きた出来事のフィクション化」、「語りの技法」である。それぞれで、彼が風景や場所から立ち上がり層を成す繰り返される出来事や暴力の過去を、一つの物語、一つの描写に凝縮して託そうとした技法とその成熟や工夫を扱う。ルルフォが持っていたのは過去を幻視する能力、場所の過去を想起し文学として再創造する能力であったことをさまざまな側面から検証する。

 

参考文献

ANÓNIMO.“Revela Rulfo el proceso de creación de sus personajes”, Excélsior, 14 de agosto, 1983, 1-2. (初出 El Ornitorrinco, Bs. As.)

SOMMERS, JOSEPH.  “Los muertos no tienen tiempo ni espacio (un diálogo con Juan Rulfo)”, en La narrativa de Juan Rulfo. Interpretaciones críticas. Joseph Sommers (antología, introd. y notas), Secretaría de Educación Pública, 1974a, pp. 17-22. (初出La Cultura en México, suplemento de ¡Siempre!, núm. 1051, 1973.)

 

(ウェブ公開に際して、一部表記を書籍から変更しています)

 

『学問としてのダンスの歴史的変容』の書評が『図書新聞』に掲載されました

『図書新聞』第3534号/2022年3月12日号に、木場裕紀著『学問としてのダンスの歴史的変容―ウィスコンシン大学マディソン校のダンスの一〇〇年』の書評が掲載されました。評者は呉宮百合香氏(ダンス研究、早稲田大学)です。「世界の先駆けとなったダンス専攻の葛藤と戦略 未来を見据えた思考と議論のきっかけをもたらす一冊」

村山恒夫著『新宿書房往来記』への弊社代表三浦の書評が『週刊読書人』に掲載されました

『週刊読書人』第3429号/2022年2月25日号に、村山恒夫著『新宿書房往来記』(港の人、2021年)への弊社代表・三浦衛の書評が掲載されました。「本づくりに明滅する人の群れ 新宿書房五〇年のクロニクルの輝き」

『新宿書房往来記』の詳細は、下記ウェブサイトよりご覧になれます。

新宿書房往来記