『週刊読書人』2024年10月25日号に、山田昭子著『吉屋信子――小説の枠を超えて』の書評が掲載されました。評者は尾崎名津子先生(立教大学)です。「吉屋が女性たちを描き続けることによって、徐々に滲み出てきた桎梏の正体が母娘関係であることが、本書によって明らかにされている」
『日本文学』第73巻(2024年10月)に、山﨑眞紀子、江上幸子、石川照子、渡辺千尋、宜野座菜央見、藤井敦子、中山文、姚毅、鈴木将久、須藤瑞代著『日中戦時下の中国語雑誌『女声』―フェミニスト田村俊子を中心に』の書評が掲載されました。評者は木田隆文先生(奈良大学文学部教授)です。「本書の功績は、俊子に付きまとった「官能」的作家象を払拭し、交戦国同士の女性の連帯を目指した「フェミニスト」としての姿勢を鮮明に打ち出したことであろう」
日本近代文学会編『日本近代文学』第110集(2024年5月)に、大場健司著『1960s 失踪するアメリカ―安部公房とポール・オースターの比較文学的批評』の書評が掲載されました。評者は坂堅太先生(就実大学)です。「実存主義(特にサルトル)の受容や六〇年代の同時代言説との照応、そしてアメリカ文学との相互交通という観点から展開される読解を通じて本書が提起するのは、「アナキスト」としての安部の姿である」
日本アメリカ文学会編『アメリカ文学研究』第60号(2024年3月)に、大場健司著『1960s 失踪するアメリカ―安部公房とポール・オースターの比較文学的批評』の書評が掲載されました。評者は藤井光先生(東京大学)です。「1960年代において安部がアメリカ文学をどう受容して自らの思想を練り上げていったか、そして、それが後続作家であるオースターにどう引き継がれていくのかを、大胆かつ細やかに論じている」
日本比較文学会編『比較文学』第66巻(2024年3月)に、大場健司著『1960s 失踪するアメリカ―安部公房とポール・オースターの比較文学的批評』の書評が掲載されました。評者は堀江秀史先生(静岡大学)です。「一貫した関心は、安部の政治思想である。(…)変遷よりも深化と呼ぶのがふさわしい、安部思想の新たな見取り図の呈示」
日本比較文学会九州支部編『日本比較文学会NEWSLETTER』第2号(2023年6月)に、大場健司著『1960s 失踪するアメリカ―安部公房とポール・オースターの比較文学的批評』の書評が掲載されました。評者は中原綾氏(東京大学大学院修了)です。「「アナキスト・安部公房」のさらなる読みの可能性を開く扉である」
日本歴史学会編『日本歴史』第918号(2024年11月号)に、松本智也著『〈文事〉をめぐる日朝関係史―近世後期の通信使外交と対馬藩』の書評が掲載されました。評者は古川祐貴先生(弘前大学)です。「本書の刊行によって易地聘礼研究がより深まっていくであろう」
『RICM MUSICA SACRA(立教大学教会音楽研究所報)』第9号に、瀬尾文子著『近代市民社会の信仰と音楽―オラトリオは「聖」か「俗」か』の書評が掲載されました。評者は星野宏美先生(立教大学)です。「こんにちの日本ではあまり知られない作品群に、台本と音楽の両面から丁寧にアプローチした上で、当時の言説と照らし合わせた労とその成果を高く評価したい」
『音楽学』第70巻(2024)1号に、瀬尾文子著『近代市民社会の信仰と音楽―オラトリオは「聖」か「俗」か』の書評が掲載されました。評者は宮本直美先生(立命館大学)です。「本書の議論は、当時の「オペラと(まじめな)教会音楽の間」としてのオラトリオを再考するきっかけを与えてくれる」
日本思想史学会編『日本思想史学』第56号(2024年9月)に、松本智也著『〈文事〉をめぐる日朝関係史―近世後期の通信使外交と対馬藩』の書評が掲載されました。評者は石田徹先生(島根県立大学)です。「江戸期の歴史叙述についての考察を進めた点も注目に値する」