小林秀雄とウィトゲンシュタイン

小林秀雄とウィトゲンシュタイン

  • 中村昇/2007年2月
  • 2500円(本体)/四六判上製・250頁

二人は同じ「場所」に立っていた―。ウィトゲンシュタインやデリダ、ベルクソンなどヨーロッパ思想を経由することで浮かびあがる、小林秀雄の知られざる核心。気鋭の哲学者が明かす、言語哲学者としての小林!
日本図書館協会選定図書
(ISBN 9784861101069)

目次|indexs

.0 はじめに
小林秀雄のいる場所

.1 小林の方法
.2 反覆可能性
.3 おっかさんという蛍
.4 文法による虚構
.5 美を求める心
.6 かたち、そして姿
.7 言葉は身体である
.8 感想
.9 空間
.10 イマージュ
.11 おわりに
ある一点

.1 延長なき一点
.2 わたし
.3 何かどうしても忘れられない一点
あとがき

著者|author

中村昇(なかむら・のぼる)
1958年生まれ。中央大学哲学科教授。丸山圭三郎(言語思想)、木田元(哲学者)に師事。著書に『いかにしてわたしは哲学にのめりこんだのか』(春秋社)、訳書にウィトゲンシュタイン『色彩について』(共訳、新書館)ほか。

 

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対話が世界を変える 聖エジディオ共同体

対話が世界を変える

聖エジディオ共同体

  • アンドレア・リッカルディ(著)/千田和枝(訳)/2006年11月
  • 1800円(本体)/四六判上製・296頁

1968年、現代社会で福音を実現するべく、ローマの高校生たちが創始した聖エジディオ共同体。「戦争はあらゆる貧困の母」として紛争に介入し、諸宗教間の対話をすすめる。70か国、5万人が参加するNGO活動の最前線を紹介する本書は、イタリア、フランス、中国など世界各国でベストセラーとなっている。
(ISBN 4861100925)

目次|indexs

第一章 ウンブリアからローマへ ひとつの道のり
第二章 永続的な共同体に向かって
第三章 貧困と平和のための戦いの中で
第四章 地中海とヨーロッパの間で
第五章 歴史、そして現在

著者|author

アンドレア・リッカルディ
1950年、ローマ生まれ。スラム街の子どもたちの勉強をみる高校生のボランティアから始まった「聖エジディオ共同体」の創設者。現在、ローマ大学歴史学教授。著書に『ローマは聖なる都市か?』など。

 

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対話論神学の地平―私の巡礼のなかから

対話論神学の地平

私の巡礼のなかから

  • 延原時行/2006年9月
  • 4286円(本体)/A5判上製・408頁

現代にあって、宗教間対話はいかに行われるべきか? 日本のキリスト者としての体験から、仏教との融和に立つ修道論「在家キリスト教」を提唱し、西田幾多郎とホワイトヘッドの間に神学の原理を探る。半世紀にわたる思索の集大成!
(ISBN 486110081X)

目次|indexs

プロローグ―入信から対話論神学まで
巡礼I実存の深淵から
第一章ヨブに関する若干の詩的断片
第二章『罪と罰』における思想の機能について
巡礼II イエスとの出会い―関係性のあけぼの
第三章「関係の絶対性」とは何か―「マチウ書試論」からの出発
第四章ボンヘッファーにおける倫理の基底の探究
巡礼III対話論神学の地平
第五章イエスの対話論宣教学―マタイによる福音書一五章二一―二八節
第六章対話論神学の方法―ティリッヒを超えて
第七章在家キリスト教提唱―我が巡礼の原視点から
第八章在家基督教教程
第九章基督心経
巡礼V I地平を超えて「すべての道で主を認めよ」
第一〇章キリスト教信仰の逆転
第一一章ペトロとユダ
第一二章ジャックリーン・ケネディ・オナシス
第一三章ルターの宗教改革の意義―新しき神の義の発見
第一四章良寛とキリスト、良寛とパウロ―絶望即感謝のいのち
第一五章二一世紀の宇宙論的キリスト教―三つの呻き
第一六章我が心の歌
エピローグ―芭蕉の「古池」の俳諧味と私の対話論神学の巡礼
巻末付論「非仏非魔」の立場と至誠心の神学
あとがき

著者|author

延原時行(のぶはら・ときゆき)
1937年、兵庫県に生まれる。同志社大学院神学研究科修士課程修了、クレアモント神学院(D. Min.)、クレアモント大学院(Ph. D.)。ルーヴァン大学、テキサス基督教大学、クレアモント神学院・大学院、カリフォルニア州立大学サンバーナディーノ校で客員教授を務める。アメリカ宗教学会(AAR)常設研究部会「プロセス思想と西田学派仏教哲学」座長。1991年より敬和学園大学教授。「東西プロセス研究プロジェクト」主宰。
著訳書、『仏教的キリスト教の真理』、『至誠心の神学』、カブ/グリフィン『プロセス神学の展望』、カブ『対話を超えて』他多数。

 

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冒険する身体―現象学的舞踊論の試み

冒険する身体

現象学的舞踊論の試み

  • 石渕聡/2006年7月
  • 3800円(本体)/A5判上製・250頁

舞踊(ダンス)とはなにか― 現象学的地平から「踊ること」を読み解き、ダンサーの道具とされてきた身体を解放する。ダンスカンパニー「コンドルズ」のダンサーである著者が展開する冒険的舞踊論!
(ISBN 4861100828)

目次|indexs

序章
第一節 舞踊とは何か
第二節 ランガーとシーツを超えて
第三節 議論の流れ
第一部 舞踊論の基盤―現象学的時間・空間・身体の概念
第一章 舞踊の現象学的考察からの出発
第一節 現象学という視点
第二節 舞踊研究の方法としての現象学
第二章 スザンヌ・ランガーとマクシーン・シーツの舞踊理論
第一節 ランガーの芸術論全般の主要概念
第二節 ランガー舞踊論の方法と帰結
第三節 ランガーとの比較によるシーツの舞踊論の構造分析
第三章 現象学の諸概念の舞踊理論への応用
第一節 時間性の一つのモデル
第二節 ダンサーの創造する空間
第三節 多層的な身体
第四節 舞踊・ダンサー・身体の関係性
第二部 「舞踊の身体」の構築へ向けて
第四章 舞踊における身体のあり方の構造
第一節 「身体が実現する舞踊」から「舞踊が実現する身体」へ
第二節 舞踊と身体との内的な関わり
第五章 表象としての舞踊の形成と機能
第一節 「舞踊なるもの」という表象の形成
第二節 舞踊表象を分別するものとしての「動き」
第六章 媒体論の拡張
第一節 媒体と内容の構造による諸要因の関係性
第二節 ダンサーによってもたらされる身体と動き
第三部 言語との関係における舞踊の認知
第七章 舞踊と言語的意味の基本的な関係
第一節 身振りを介した言語的契機
第二節 舞踊を分節して捉えること
第八章 舞踊の身体の分節契機の構造
第一節 身体の意味生成の二つの次元
第二節 身体の二つの次元における意味の分節契機
第九章 舞踊の身体認知の構造
第一節 舞踊の身体を立ち上げる契機としての「言語」と「動き」
第二節 舞踊の身体の受容
結章
第一節 舞踊の身体の諸相
第二節 舞踊の意味を生成するものとしての身体

著者|author

石渕聡(いしぶち・さとし)
1965年、群馬県生まれ。2000年、早稲田大学満期退学後フランスへ留学。現在、大東文化大学文学部専任講師・ダンスカンパニー「コンドルズ」所属。
「コンドルズ」オフィシャルサイト Condors Official Camp

 

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新井奥邃著作集 別巻

新井奥邃著作集 別巻

  • 工藤正三・コール ダニエル 共編/2006年6月
  • 6500円(本体)/A5判・232頁

田中正造をはじめ多くの明治人に深い影響を与えた新井奥邃(おうすい)初の全集ついに完結! 別巻に年表、聖書との対照表、語彙索引を付す。幕末から明治を生きた稀有のキリスト者の全貌が明らかに!
(ISBN 4921146942)

目次|indexes

新井奥邃関係年譜
『新井奥邃著作集』聖書語句引照一覧
『新井奥邃著作集』用語索引
Historical Sketch of Thomas Lake Harris, Laurence Oliphant, and The Brotherhood of the New Life (Joseph W. Slade)
マーカム宛新井奥邃書簡
大嶋雲巌墓表
『田中正造全集』にみる新井奥邃 補遺
『新井奥邃著作集』正誤表

担当編集者から

奥邃にとっては、直の行き交いがもっとも大事で、目の前の人に伝えるべきことを伝える以上に本を出すことなど、おそらく思いもよらなかった。その意味では、この『著作集』刊行は、本人の遺志に反することかもしれない。しかし、カネ、カネ、カネと、カネの力ばかりが持てはやされる現代であればこそ、貧しさの中の豊かさを本気で生きたキリスト者・奥邃を知ることは、いろいろな意味で深く励まされるに違いない。ぜひ手にとって読んでほしい。[-三浦-]

 

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学び住むものとしての人間―「故郷喪失」と「学び」のニヒリズムを超えて

学び住むものとしての人間

「故郷喪失」と「学び」のニヒリズムを超えて

  • 吉村文男/2006年6月
  • 2800円(本体)/四六判上製・252頁
  • 装丁:矢萩多聞

あてどなくさ迷い、虚無を浮遊する現代人。危機にある日常の営みを哲学的に考察する。東西思想を駆使し、人間中心主義の陥穽に挑む。
日本図書館協会選定図書
(ISBN486110078X)

目次|indexs

第一章 問題としての「学び」
一.人類に普遍的な営みである「学び」
二.近代学校と「学び」―「学校化社会」と「学び」
三.現代における「学び」の危機
四.人間が人間自身にとって問題化している
五.学校教育から解放した「学び」
六.「学び」の包括的な意味
第二章 人間存在と文化―哲学的人間学から
一.場所的存在としての人間
二.人間の本質としての世界開放性
三.文化世界に於いてある文化存在としての人間
第三章 意味世界と学ぶこと
一.「シンボル的宇宙」と「シンボル的動物」
二.人間がそこに於いてある場所としての「意味世界」
三.すでに解釈されている意味世界
四.言葉と意味世界
五.意味世界と近代人
六.意味の理解
七.学ぶということ
第四章 人間存在と住むこと―住むことと「学び」
一.人間存在と住むこと
二.住むこと―特にボルノーを手がかりとして
三.住むことと学ぶこと
四.住むことと「存在への信頼」
第五章 故郷を喪失した人間と「学び」
一.「聖なる場所」としての家
二.「住む機械」としての家
三.神話と科学
四.ニヒリズム
五.虚無を自覚的に引き受けること
六.「聖なる時間」と「俗なる時間」
七.近代における「世界喪失」と労働の優位
八.住むことの喪失と「学び」のニヒリズム
第六章 住んでいることから–住むことへの「学び」
一.伝統的社会における「学び」と住むこと
二.「無意味」の意味
三.「無意味」の意味を理解してゆくこととしての「学び」と住むこと
四.「驚き」と「無知の知」
五.「学び」における「行」
六.住んでいることから–住むことへの「学び」―意味の深さ

著者|author

吉村文男(よしむら・ふみお)
1940年奈良市生まれ。奈良産業大学教授(京都教育大学名誉教授)。
著書に、『人間であること』(共著、燈影舎)、『教育人間学の根本問題』(共著、燈影舎)他。
訳書に、キュンメル『時間の人間学的構造』(理想社)、キュンメル『倫理と対話』(晃洋書房)。

 

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同一性の形而上学―映画・SF・探偵小説

同一性の形而上学

映画・SF・探偵小説

  • 村上隆夫/2006年5月
  • 5600円(本体)/A5判上製・480頁

統一的で自明的な像が崩壊した現代世界に、イメージの無数の断片をつなぐ「モンタージュ」が立ち現れる。探偵小説、SF、映画を参照しつつ、西欧近代における同一性概念の解体と再構築を語る思考の試み。
(ISBN 4861100593)

目次|indexs

序章 劇場空間の変貌と視点の歴史的展開
第一部 言語と法
第一章 類似性と同一性
第二章 法則と因果性
第三章 言語と実体
第四章 神話と論証
第二部 人格と法
第五章 意思疎通と同一性
第六章 意思疎通と人称
第七章 人格的同一性
第八章 自由と必然性
第三部 人格と仮象
第九章  イデアと仮象
第一〇章 国家と人格
第一一章 自己同一性
第四部 映画的世界像と探偵小説的世界像
第一二章 映画的世界像と同一性
第一三章 探偵小説と同一性
第一四章 SF小説と同一性
終章

著者|author

村上隆夫(むらかみ たかお)
1947年生。東京教育大学卒業。現在、群馬大学教授。
著書『政治的な学としての倫理学』(未来社、1988)、『ベンヤミン』(清水書院、1990)、『メルロ=ポンティ』(清水書院、1992)、『模倣論序説』(未来社、1998)他。
翻訳、ラインハルト・コゼレック『批判と危機』(未来社、1989)、テレル・カーヴァー『マルクス事典』(未来社、1991)他。

担当編集者から

ぼくは探偵小説(ドイル、クリスティから島田荘二、綾辻行人)やSF(ディック、バラード)が好きで、大学の頃など経済学の授業中、本を読みまくったものだ。
しかしそれと哲学とがあたまの中で結びつくことはこれまでなかった。
本書は副題が示すとおり、映画やSFや探偵小説が同一性をどのように扱っているかを丁寧に論じていて、とても面白い。
考えてみればSFや探偵小説は同一性やアイデンティティの不安を題財にするものが多い。いや、一貫してそれのみ扱ってきたとすらいえる。
ドゥルーズなど現代思想を武器に、粘り強い筆致で近代の病「同一性の解体」に立ち向かう。[-内藤-]

 

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思想のレクイエム―加賀・能登が生んだ哲学者15人の軌跡

思想のレクイエム

加賀・能登が生んだ哲学者15人の軌跡

  • 浅見洋/2006年3月
  • 3500円(本体)/四六判上製・360頁
  • 装丁:長田年伸

「愛する者の死」から哲学がはじまる。西田幾多郎、鈴木大拙、高橋ふみ、長尾巻ほか、北国にゆかりの深い思想家たちの生涯と哲学を紹介。失われつつある「哲学」へのオマージュ!
(ISBN 4861100682)

目次|indexs

序曲  日常から立ち上がる思想―思索の動機としての悲哀
第1曲  父に語った夢物語―女性哲学者の初穂・高橋ふみ
第2曲  母への努めを果たす―気骨あふれる教育者・山本良吉
第3曲  悲しみから人生を学ぶ―父母、妻、友の生を受け継いだ鈴木大拙
第4曲  生きつづける無限愛の教育論―信州で逝った哲学者・木村素衛
第5曲  虚無を生きた空の思想家―奥能登の風光、父の死と西谷啓治
第6曲  反戦を歌いつづけた透明な知性―獄死した唯物論者・戸坂潤
第7曲  瀕死の体験と聖化された信仰と思想―昭和の教父・逢坂元吉郎
第8曲  愛と理性の教育をめざして―教育者・赤井米吉
第9曲  妻の遺骨と共に―敗北の勝利者・藤井武
第10曲  近代日本への警鐘―在野の思想家・三宅雪嶺
第11曲  キリスト教的愛と清貧の実践―隠れた聖徒・長尾巻
第12曲  思索する指―近代彫刻の巨匠・高田博厚
第13曲  精神生活の原風景を求めて―国文学者・折口信夫
終曲  死は悲し、されど…―夭折の哲学徒・野崎廣義

著者|author

浅見洋(あさみ・ひろし)
石川県立看護大学教授。著書に『未完の女性哲学者高橋ふみ』(北國新聞社)、『西田幾多郎とキリスト教の対話』(朝文社)、『高橋文のフライブルク通信』(北國新聞社)、『二人称の死』(春風社)など。

担当編集者から

ドゥルーズの『差異と反復』に、「思考は暴力によって始まる」という有名なテーゼがある。思考は主体的に内発的に行われるのではない、常に向こうからやってくる。
著者・浅見さんの言う「二人称の死」もある種の「暴力」だ。
親しい者の死は唐突にこちらを襲い、いやおうなしに考えることを強要する。
そんな「暴力」に見舞われた思想家たちの物語と読み、編集した。
「レクイエム」のタイトルだが、ぼくにはブルースに聞こえる。[-内藤-]

 

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神の箱―ダビデとその時代

神の箱

ダビデとその時代

  • 磯部隆/2005年5月
  • 3800円(本体)/四六判上製・568頁

「イスラエルからいただき受けついだ命を、感謝をこめてイスラエルに返されたのですね」―古代イスラエルの王ダビデとその時代を生き生きと活写し、聖書記者の真意にまで肉迫する。旧約聖書「サムエル記」に登場する「神の箱」にまつわる一大歴史小説。
日本図書館協会選定図書
(4861100364)

目次|indexs

序章 母ハンナ
第一章 祭司エリ一族
第二章 預言者サムエル
第三章 聖戦
第四章 闇と光
第五章 英雄サウル
第六章 反逆
第七章 ミクマスの戦い
第八章 戦いの日々
第九章 王家の人びと
第十章 悲劇への省察
第十一章 主から来る悪霊
第十二章 いずこへ
第十三章 ギルボア山
第十四章 二つの王家
第十五章 死にゆく者
第十六章 遷都
第十七章 神の凱旋
第十八章 帝国への道
第十九章 アブサロムの反乱〈前編〉
第二十章 アブサロムの反乱〈後編〉
終章 闇からの声
あとがき

著者|author

磯部隆(いそべ・たかし)
1947年神奈川県藤沢市生まれ。名古屋大学大学院法学研究科博士課程修了。ハーバード大学客員研究員を経て、現在名古屋大学法学部教授。
主著に『預言者イザヤ』(サンパウロ)、『エレミヤの生涯』(一麦出版社)など。

担当編集者から

本の帯に「神の意志を巡る人びとの群れ」とある。近代以降は個人が重んじられるようになり、それは悪いことではないけれど、人間や歴史の見方として普遍的なものではないということが本書を読めば分かる。もっと大きな世界があると感じる。[-三浦-]

 

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信仰の美學

信仰の美學

  • 阿部仲麻呂/2005年2月
  • 9500円(本体)/A5判上製・710頁

「美」を手がかりにした新しい福音理解。カトリック信仰と西田哲学を軸に古今東西の思想を読み解き、西欧的理性主義を超えた「日本的霊性の神学」構築を試みる。
日本図書館協会選定図書
(ISBN 4861100283)

推薦の言葉

カトリック司祭であり、若手神学者である阿部仲麻呂師のエッセンスを凝縮した膨大な論集である。玉手箱のような多岐にわたる論説の数々は、著者の関心の広さを顕している。しかし方向性ははっきりしている。大和回帰である。阿部師による日本の神学の展開に注目している。
岩島忠彦(上智大学神学部教授)
著者は日本の文化に深い愛を抱く研究者にして、西欧精神の中心的伝統であるカトリックの司祭。この若き神学者の瞑想から生まれた珠玉の文章が、はじめて一冊にまとめられたことを心から歓迎したい。
渡部昇一(評論家)
序文―小野寺功
日常的な霊性の探究と司牧と研究の一致をめざし、あらゆる現実の矛盾に向きあい、誠実に歩みを進める阿部神父の「いのち」が反映している。

目次|indexs

第一部 花―日本文化の創造性
エッセイ1・おもい
ⅰ 和歌・能・茶道―ひとすじの日本性
ⅱ あはれ
ⅲ 心の底のやまとたましひ―阿倍仲麻呂論
ⅳ 夢幻的交流―空あるいは縁の世界
ⅴ 花の神学あるいは日本の生活美とキリスト教霊性―美・花・光・夢
エッセイ2・えにし
ⅰ 永遠のいのち
ⅱ 一期一会の味わい
ⅲ 松尾芭蕉の旅
ⅳ 十四世紀という時代―エックハルトと世阿弥
ⅴ キリスト者と陰陽道
ⅵ 日本人の修行観―道
ⅶ 道元の修行観とキリスト教
エッセイ3・ひびき
ⅰ 創造的に生きる
ⅱ 藝術創作について
ⅲ 藝術と真理―解釈学的に
ⅳ 藝術における逆説について
論文1・認識の共通基盤―神道・仏教・キリスト教の響存背景(life-context)
ⅰ アニミズムの論理―東北的アニミズム神学の構築に向けて
ⅱ 「美」の可能性―藝術理解・修行観洞察・諸宗教対話
ⅲ 神学と哲学の根源から思索する
ⅳ 本覚思想のキリスト教的適応―『大乗起信論』を手がかりにして
ⅴ 東西霊性交流の架橋―ホアン・マシア『大乗起信論』スペイン語訳
ⅵ 夢幻能の「救い」―世阿弥の「花」を手がかりにした解釈学的美学の試み
ⅶ 『十牛図』のキリスト教的可能性
第二部 風―神学的ネットワークと神秘霊性
エッセイ4・つながり
ⅰ 多様なものがひとつに活かされるために
ⅱ いのちのつながり―宇多田ヒカルさんの思いから
ⅲ ネオ・コスモポリタニズム
ⅳ 「インターネット神学」へ向けて
ⅴ ドビュッシー・ジョビン・サカモト
ⅵ 組織と運動
ⅶ 神が呼び集めてくださる
エッセイ5・まなざし
ⅰ アッシジ
ⅱ ドイツ神秘霊性―マイスター・エックハルトの思想を中心にして
ⅲ シエナの聖カタリナ
ⅳ 聖イグナチオ・デ・ロヨラについて
ⅴ エディット・シュタインとの出会い
ⅵ 回勅『信仰と理性』の成立背景
ⅶ 関係性と相互の歩み寄り―マルティン・ブーバーの思想
論文2・エックハルトの思想―のびやかないのちの躍動
ⅰ かたちのあらわれ
ⅱ 擬ディオニュシオス『神秘神学』における神理解
ⅲ エックハルトの「離脱」
ⅳ エックハルトにおける神と人間の出会い
第三部 祈―現代の神学をめぐって
エッセイ6・こころざし
ⅰ 無神論について
ⅱ 『カトリック教会のカテキズム』について/信仰宣言
ⅲ 三位一体の神
エッセイ7・たまゆら…
ⅰ 「諸宗教者の集い」に参加して
ⅱ 「聖霊」における諸宗教者の共歩―万物の根源に向かって
ⅲ 主イエスへの祈り―距離と共生
ⅳ ユダヤ教とキリスト教の対話―イエスとパウロの選民意識
ⅴ 秘跡論序説
ⅵ 「いのち」の尊さ―回勅『いのちの福音』にもとづいて
ⅶ マリア/おはよう!
論文3・美しき現代哲学―京都学派哲学とキリスト教の深まり
ⅰ 科学と信仰の「根本場」―柳瀬睦男『現代物理学と新しい世界像』に即して
ⅱ 知られざるキリスト者―九鬼周造
ⅲ 逢坂元吉郎の思想
ⅳ 小野寺功の思想をめぐって(Ⅰ)―『絶対無と神 京都学派の哲学』
ⅴ 小野寺功の思想をめぐって(Ⅱ)―『聖霊の神学』
ⅵ 「良心」と「誠」をめぐって―竹内修一『良心と人格』
ⅶ 基礎神学の実用的な俯瞰図―ジェラルド・オコリンズ『基礎神学の復権』
ⅷ 美の神学のかなたに
ⅸ 日本近代哲学の神学的意義―西田幾多郎「逆対応の論理」の構造と可能性
第四部 光―まことのひらけ
エッセイ8・ゆるしの風光―つつまれるやすらぎ
ⅰ ゆるされた喜び
ⅱ 聖霊降臨の日に
ⅲ 「ゆるしの秘跡」の現場で
ⅳ 「ゆるしの秘跡」について
ⅴ 聖霊論的「ゆるし」理解
ⅵ 聖母マリアについて
ⅶ 嫉妬と信頼
ⅷ あわれみの心
ⅸ 主の思い
ⅹ 神の視点と人間の視点
ⅹⅰ 復活について
ⅹⅱ 福音のひびき
あとがき

著者|author

阿部仲麻呂(あべ・なかまろ)
1968年生まれ。上智大学文学部哲学科および神学部神学科を卒業。同大学大学院神学研究科博士前期課程を経てイタリアへ留学。教皇庁立グレゴリアン大学大学院神学部基礎神学科修士課程修了。上智大学大学院神学研究科博士後期課程在籍後、現在も博士論文を執筆中。カトリック司祭。
主要著訳書に、上智大学新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』(研究社)、レオナルド・ボフ「解放の神学とエコロジー」(『神学ダイジェスト』第81号)ほか多数。

担当編集者から

ヨーロッパにおける思考様式は、三段論法的に、また弁証法的に一段一段、階段を積み上げ論理を展開していくやり方が長く支配的だった。ソクラテスにはじまりデカルトを経てカント、ヘーゲルに至る主流の歴史である。
これに異を唱えたニーチェは、断章形式(アフォリズム)という、論理を「展開しない」方法を構想し、思考の地殻変動を促した。
現代に生きる思想の本として、『信仰の美学』は後者を極限まで追求する。
700頁超の本文(束50ミリ!)で扱われるのは、西田・京都学派哲学と南方熊楠とエックハルトと坂本龍一と宇多田ヒカルとアッシジのフランチェスコとマルチン・ブーバーとイヴァン・イリイチと世阿弥と大乗仏教と阿部清明と…(まだまだある)。
ウタダとエックハルトは相当アバンギャルドな取り合わせだが、ともかく、これらを縦横に横断し、導き出そうとするのは一点、「日本文化とキリスト教」の接触点。
若きカトリック界の俊英の挑戦をぜひ受け止めていただきたい![-内藤-]

 

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